『夏目漱石の”坊ちゃんの”の舞台の道後温泉』
| 伊予の国と言えば道後温泉と坊っちゃん。 坊っちゃん名物は、 夏目漱石の『坊ちゃん』列車。松山市内を明治から昭和まで走り続けた蒸気機関車の復刻版です。 現在は、土日のみ運行されています。 夏目漱石は慶応3年生まれから江戸時代に生まれた。 明治28年(1895)に松山の尋常中学の教師になった経験から“坊ちゃん”が執筆された模様。 また、正岡子規は愛媛県松山市出身で夏目漱石と友人関係だった。 1905年(明治38年)の松山を舞台に中学校に赴任した『坊ちゃん』を初め、『山嵐』、『赤シャツ』、『マドンナ』、『野だいこ』、『うらなり』とあだ名で登場します。 「坊っちゃん」のドラマは何作製作されたかその内2~3本は鑑賞したと思う。これ迄ほど繰り返されて製作される坊っちゃんは素晴らしいお話しなんでしょう。 |
| その他の電車は、ミカン色に彩られた車両が走っています 市内を走っているバスもミカン色で関西でミカン色のバスを見かけると”伊予電バス”です。 |
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| 伊予電鉄”道後温泉駅”の横にある『坊ちゃんカラクリ時計』です。 時間になると時計台の建物がせりあがり、土台の下が温泉湯で屋根がさらにせり上がります。 時計台の周囲には『坊ちゃん』の登場人物が出てきます。 放生園の足湯は道後温泉の「養生湯」で使われていた湯釜を使用しています。 すぐ隣にある、坊っちゃんカラクリ時計が動き出す時間に合わせて足湯を楽しむのもおすすめです。写真も撮って楽しんで! 『正岡子規像』 まり投げてみたき広場や春の草 明治23年 “高浜虚子” 近代俳句を創始した正岡子規のもとには、河東碧梧桐・高浜虚子・内藤鳴雪など、多くの弟子たちが集い、その革新的な句作の方法は全国的に瞬く間に波及しました。 毎日テレビ製作の”プレバト”に出演の“夏井いつき“さんが愛媛県出身で高浜虚子”さんのひ孫弟子だそです。 |
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日本旅行者がまとめた日本の温泉ランキング第2位は道後温泉です。 日本3古湯(道後、有馬、白浜)の一つで、日本で最も古いとされる“万葉集”にも登場します。 日本最古の温泉で、聖徳太子や伊藤博文なども来湯したといわれ夏目漱石の小説「坊ちゃん」にも描かれました。 湯めぐりはもちろん趣のある街並みでの散策や歴史を感じさせる建築も楽しめる魅力的な街です |
| “伊予鉄”で“JR松山”駅から“道後温泉”駅まで乗車します。 “道後商店街”を通り抜けた所に“道後温泉本館”があります。 |
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| 日本旅行者がまとめた日本の温泉ランキング第2位は道後温泉です。 日本3古湯(道後、有馬、白浜)の一つで、日本で最も古いとされる“万葉集”にも登場します。 日本最古の温泉で、聖徳太子や伊藤博文なども来湯したといわれ夏目漱石の小説「坊ちゃん」にも描かれました。 湯めぐりはもちろん趣のある街並みでの散策や歴史を感じさせる建築も楽しめる魅力的な街です |
『伊予の国 松山藩』
| 伊予の国の松山平野の中心に位置する標高132mの勝山に築城された松山城。道後温泉と坊ちゃんが観光名所になっています。 松山城城主の“加藤嘉明“。加藤嘉明は“賤ケ岳の7本槍”のひとりと言えばわかりやすいかな。 関ヶ原の戦いで巧により20万石の大名になり、ここ勝山に新しく築城した。 伊予松山藩 |
| 天明4年(1784)に天守が落雷で焼失して、安政元年(1854)に再建天守が落成(現存)しました。ペルーが浦賀に来航した翌年です。明治維新(1868)の14年前に完成しています。 現存12天守の中で一番新しいお城です。 |
| 城主の『よしあき』君。同名なので親しみを感じました。 『よしあきくん』は、松山城築城400年祭を盛大に祝福するために松山城のマスコットキャラクターとして誕生されました。 名前の「よしあきくん」は松山城の初代城主 加藤嘉明(よしあき)にちなんで名付けられました。お城山からいつも松山の地を温かく見守っています。 松山城をはじめ“いで湯と城と文学のまち-松山-”を応援するため、積極的にお出かけしていきます! |
| 2025年の春が待ち遠しく、3月7日にやっと梅が咲き始めました。 | ![]() |
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| 天守までの入り組んだ石垣、敵兵が攻め込んできても周囲から一斉攻撃で敵兵の侵入を防止する造りになっています。 | ![]() |
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| 勝山の松山城にはロープウェイとリフトで登って行きます。訪れた時は清々しい天気でしたので上りがリフトで下りにロープウェイを利用しました。 加藤嘉明の騎馬上像 |
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『高千穂神社は高千穂郷の総社』
| 瀬戸内海に面し、「吹揚の浜」と呼ばれた砂丘地帯に藤堂高虎が築城しました。 関ケ原の戦いで伊予の国の20万国を領した。 伊予今治藩主“藤堂高虎”。 広い水堀と高い石垣で 創建時の五層天守は1610年に丹波亀山城へ移築され、現在の天守は1980(昭和55年)に再建された模擬天守(5層6階)で、内部は資料館になっています。 明治時代初期に廃城が決まり廃却が進んでいたが、愛媛県史跡に指定され天守や櫓が再建されてきました。 今治と言えば『タオル』です。 |
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| 『吹揚神社』 廃藩にあたり、往古より今治市内に御鎮座をしていた“神明宮”、“蔵敷八幡宮”、“厳島神社”、“夷宮”の4社を、旧社地の故をもって今治城内に合祀社殿として造営。明治5年11月19日に遷座し、今治城の旧城名から“吹揚神社”と称しました。 |
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| お堀に囲まれた城郭への入口に当たる“土橋”を進んだ先に“鉄御門”があります。鉄御門は枡形小口で上部周辺には | ![]() |
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| 今治城天守最上階から北方を眺めると、遠くの海に大橋が見えるのが『しまなみ海道』。帰りは今治駅から福山駅への高速バスに乗り縦断する。 |
| 本州と四国を結ぶ3基幹のうちの一つ。四国愛媛県今治から広島県尾道46.6Kmを、新尾道大橋、因島大橋、生口橋、多々羅大橋、大三島橋、伯方・大島大橋、来島海峡大橋の七つの橋で結ばれる。 この道路が通る向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島、馬島等の総計約8万人の人口を有する島郡地域の生活改善になっています。 |
| 大三島から多々羅大橋と観音山を展望。岩城島の港 戦国時代に織田信長と戦った“村上水軍”。瀬戸内海の“因島”、“来島”、“能島”を拠点として活動していた。この島々の間を横切って通る“しまなみ海道” |
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『宇和島の仙台藩』
| 宇和島城は現存12天守閣の一つ。 2025年3月6日の天守閣台では『ウスベニカンザクラ』が咲きほころんでいます。でも、『ソメイヨシノ』のつぼみは固く閉ざしていました。 |
| 宇和島城を訪れるには公共交通機関での移動はロスタイムが多くレンタカーにしました。 宇和島城の登城口が見当たらず探すために勝山の周りを周回してしまいました。 “宇和島城”の小さな看板を見つけ進むと正面に“大手門”と思われる門の前に到着しました。 筆頭家老の桑折屋敷の門を移設された『藩老桑折氏武家長屋門』でした。今見れは門幅が狭かったです。 |
| 城内の展示物です。 宇和島城築城時の絵 現在風高虎の雄姿、宇和島城、宇和島おんど踊 |
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| 愛媛県宇和島市。慶長19年(1614年)12月28日、伊達政宗の長男秀宗(側室)が徳川秀忠より伊予宇和島藩10万石が与えられ、慶長20年(1615年)3月18日に宇和島城に入城したことから、宇和島藩が正式に成立した。 仙台藩2代目藩主は、次男忠宗(正室)です。 |
| 宇和島城は慶長6年(1601年)に築城の名手と名高い藤堂高虎により標高約80メートルの丘陵地に築かれました。宇和島は日本屈指のリアス海岸地帯で、城はその最深部にあたる現在の市街地のほぼ中央にあります。 宇和島城の建造当初、大半が海に面する地形を巧みに活かして、城郭は上から見ると不等辺五角形をしています。これは敵に四角形の城だと錯覚させ死角をつくるための造りで、藤堂高虎の巧みな建築技術の一端が見て取れます。 |
『大洲藩』
| 松山自動車道大洲南インターチェンジを降りると直ぐに大洲城が正面に現れます。 大洲城は、“藤堂高虎”によって大規模改修が行われ、明治維新後は城内のほとんどの建築物は破却され地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されたたが天守は老朽化と構造上の欠陥のために明治21年(1888年)に解体されました。 現在の天守は伝統工法を用い、平成16年(2004年)に復元されたものです。 |
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復原された大洲城は、左から “高欄櫓、復元天守、台所櫓” 大洲城を訪れると、大洲の地名は知らなかったが、幕末の歴史、映画、ドラマ、バラエティの材題でテレビでも紹介されています。 大洲は坂本龍馬が土佐藩を脱藩したとき土佐(高知)から韮ヶ峠を越えて大洲城下に入り、伊予長浜から長州に渡ったとされている。 また、坂物龍馬が率いる海援隊が、大洲藩が所有している“蒸気船いろは丸”に乗り込んで瀬戸内海航行中に紀州藩の“明光丸”と衝突し沈没したいわゆる“いろは丸事件”が起こった。 |
| 水戸黄門 第15部第4回で、水戸光圀は大洲を訪れ“大洲和紙” |
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『男はつらいよ 寅次郎と殿様』 1977年に公開されたシリーズ19作目。 30年前に”男はつらいよ”のロケ地でしたか?” と尋ねると”50年前です、”と正されました。 殿様は” 嵐寛寿郎”、マドンナは”真野響子”。殿様の嵐寛寿郎と寅さんとの掛け合い、殿様とマドンナ真野響子の掛け合いがユーモラスに溢れほのぼのとしていて、荒川の土手を嵐勘十郎と真野響子のシルエット姿が旅情に溢れて素晴らしかった。 テレビのバラエティ番組で、宿泊できるお城として、大洲城が紹介されています。 天守閣の1階に布団を引いて寝るみたいです。 広い城内で甲冑が展示されている部屋で寝るのはちょっと抵抗があります。 一泊二日おひとり様308千円で最大6名まで利用できるそうです。 |
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『何もない有名な駅』
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| “予讃線(愛ある伊予灘線)”の下灘駅 2014年3月15日から伊予市駅 - 伊予大洲駅間の海回り区間に「愛ある伊予灘線」の愛称が付けられている。 1935年に開業した下灘駅。当時はホームの下が海だったことから”日本で一番海に近い駅”と呼ばれていた。海とホームの間に国道378号が開通すると駅の利用者が激減し、更に国鉄民営化になり無人駅となり廃線も危ぶまれた。 宮崎駿ジブリ映画の『千と千尋の神隠し』のワンシーンで有名になり、テレビの“プレバト”の俳句の材題に取り上げられたり、写真が掲載されたりとその光景が隠れ観光名所になっています。 |
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| 列車が到着する時間が近づくと、人が湧いたように多くの観光客が駅に近づいてきます。 すると、ボランティアの人が大きな声で。“黄色い線の中に入らないでください”(黄色い線はホームの後ろにある。) “皆きれいな写真が撮影できるように列車に近づかないでください。”とお声がけされていました。 集まってきた観光客や列車から降りてこられた人達から日本語を聴くことはありません。こんな隠れたところを調べ来訪されるのだと感心しました。 いっそのこと、策を作って入場料を取ってもよいと思うが。 |
| あいにくの曇り空ですが、海に浮かんでいるかのように見えます。 対岸に見えるは広島県で”周防大島”だろうか。 代わる代わる観光客がベンチに座り写真撮影をしています。 晴天、夕焼けでは美しい写真が撮影で来たでしょう。 |