『京極家』
| 香川県讃岐平野の中の丸亀平野の亀山に築城された丸亀城。現存天守12城巡りで丸亀城を観光にやってきました。 2011年NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』で、“お市の方”の三人の姫たちは、長女の“茶々”は秀吉の側室、三女の“江”は、三度目の結婚で“徳川秀忠”の正室となり“徳川家光”を出産している。次女の“初”は“京極高次”の正室に嫁ぎ後に“常高院”となられた。 初代丸亀城城主は『京極高和』。京極高次と浅井初(浅井長政、お市の次女)の孫にあたる。 2011年NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国時代』にでてくる京極高次は、斎藤工が演じていた。 丸亀城初代城主は京極高次で、お市の方の次女の初の嫁ぎ先。京極家は室町時代からの由緒ある家系であるが織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と主を変えていた。 徳川家光の一国一城令で廃城になった。 |
![]() |
| 丸亀市役所前道路から見上げる天守。天守と言っても櫓です。 亀山自体が石垣に囲まれ、日本一の美しい高石垣とされ天守が聳え立っています。 全体が石垣の要塞に見えます。ただポツンと小さな天守が建っているだけでは寂しいです。 伊賀上野城の石垣も高石垣と呼び名が高いですが、大阪城や名古屋城も高石垣と思いますが一体どこが一番高いのでしょうか?。 |
![]() |
| 四国の香川県。高松に友人が済んでいますが今回は丸亀城を見学するためにやってきました。 丸亀城の石垣の上から瀬戸内海を望んだ先に“瀬戸大橋”を見る事ができます。“瀬戸大橋”岡山県倉敷市鷲羽山と香川県坂出市の丸亀駅と坂出市の坂出駅の間を繋ぐ1988年(昭和63年)に開通され、世界最長の「鉄道道路併用橋」でギネス登録されている。 田中角栄の日本列島改造計画の一つで本州と四国を結んだ“瀬戸大橋” 他に淡路島を経由した明石海峡大橋、瀬戸内海の島々と経由して繋いだ“しまなみ海道”と本州と陸つながりが確保され、物流がスムーズになったことで地域格差が無くなった。と思われたが、丸亀市の商店街、松の様子を見ていると心持過疎化が進んでいるかなと思われた。 |
![]() |
| 大手門通りの天守への“見返り坂”と呼ばれる急勾配の坂道があります。本丸へ物資を運ぶために車が通行する際は、歩行者は通行止めになります。安全のため協力しましょう。 登り口に、芸能人でお城に精通している”ロンドンブーツの田村淳”が大名の格好したパネルが置かれています。 芸能界でお城通と名高い田村淳。“お城の観光大使”に就任されているのが犬山城、松江城、福山城、丸亀城、高知城。あれ、福山城は現存12城ではないと思うが。 |
| さて、丸亀城のマスコット。 観光案内所前に置かれているパネルの公認キャラクター。 真ん中は“きょうごくくん”。見ると”ロンドンブーツの田村淳”に似ているように思えるのは私だけ?。 左は“うちゃ娘”。 右は“とり奉行 骨付きじゅうじゅう”。丸亀市名物だそうです。 |
『しゅらしゅしゅしゅ 海の神さま』
| ♪~ こんぴら船々 追手に帆かけて シュラ シュシュシュ まわれば四国は讃州那珂の郡 象頭山 金比羅大権現 一度まわれば こんぴら船々 追手に帆かけて シュラ シュシュシュ ~♪ 香川県の民謡ですが、お座敷小唄として有名です。 “こんぴら”は“金刀比羅”、“金比羅”、“琴平”のどれ?。 神宮の名前が“金刀比羅”、山の名前が“金比羅”、地名が“琴平”でややこしい。 “讃岐のこんぴらさん”と呼んでいますが正式には『金比羅宮』です。かつては『金比羅大権現』と称し神仏習合でしたが、明治時代の「神仏分離令」で神社と変わりました。 |
![]() |
| 金刀比羅神社は石段数が有名です。石段は参道口から大門まで365段、御本宮まで785段、奥社まで1368段あります。 この石段を登るには70歳には無理があります。そこでJR琴平駅から大門までタクシーのシャトル便があります。本来なら石段を上るべきですがショートカットさせて頂きました。 |
![]() |
![]() |
| 金比羅山の石段は、大門までが 大門を潜ると200mの長い石畳の参道を進みます。参道は“桜の馬場”と呼ばれていて、春には桜の参道になるのでしょう。参道の先から、石段があります。 大物主神は日本の国造りに励まれた神さまで、当宮が鎮座する琴平山はその拠点と伝わります。 この由緒地に創建されたのが当宮です。古くは「琴平社」あるいは「琴平神社」と呼ばれていました。 「保元の乱」と呼ばれる平安末期の政治抗争に巻き込まれ、讃岐国(香川県)に配流された崇徳天皇。天皇は配流中、特に当宮を篤く崇敬されました。 当宮境内には崇徳天皇参籠跡と伝わる旧跡が存在します。崇徳天皇は帰京の悲願叶わず長寛二(1164)年に崩御されましたが、所縁も深い当宮ではお寂しい御生涯をお偲び申し上げ、翌年の永万元(1165)年に御霊をお祀り申し上げたといわれます |
![]() |
![]() |
表参道から歩けば、商店、御神木、うどん店、ソフト店、一之坂鳥居、狛犬、が参道の脇に並んでいます。 金刀比羅宮の確実な創建年代は、明らかではない。しかし、平安時代には大物主神を祀る琴平神社として信仰を集めていたという。古代末、中世以降、同社は神仏習合によって同地の真言寺院松尾寺と合併して、社名も金毘羅権現(大権現)と改称されて仏教と神道を兼ねた組織となった。長い神仏混淆時代が終焉を迎えて、今日の金刀比羅宮が誕生したのは明治元年(1868)の神仏分離令後のことであった。 大門坂から石段を登り始めました。 【旭社】 江戸時代の「金比羅大権現」と呼ばれていた時代は「金堂」と呼ばれていて、明治時代の神仏分離令後に『旭社』と改名されました。 古くから「こんぴらさん」として親しまれている海の神様です。参道の長い石段は有名で、参道口から御本宮まで785段、奥社までは、1,368段にも及びます。参道から奥社までの石段沿いには大門、五人百姓、国の重要文化財「書院」。 |
| 石段を785段登った海抜251メートルのところにある、大社関棟造、檜皮葺の壮厳な社殿。 【本宮拝殿】 ご祭神は大物主神と崇徳天皇(第75代)です。 大物主神は日本神話に出てくる国土の開拓や繁栄、安定を司る神です。 崇徳天皇は1156年(保元元年)に皇位継承権問題で保元の乱で後白河天皇(第77代)に敗れ讃岐に配流された。 日本三大怨霊(菅原道真、平将門) 農業、殖産、医薬など広範なご神徳をもつ神様として広く一般大衆に親しまれています。海の神様として特に有名です。 桧皮葺、大社関棟造の社殿は明治11年に改築されたものですが、創立は遥か昔、大化の改新以前にまでさかのぼるとされています。 崇徳天皇(第75代天皇)は、1156年保元の乱で後白河天皇に敗れ讃岐に配流され日本三大怨霊(菅原道真、平将門)の一人とされている。 |
![]() |
![]() |
| 御本宮の北西側には、広々とした展望台が設けられています。象頭山の中腹、海抜251mから望む景色は、まさに絶景。天気の良い日には、讃岐平野の彼方に、瀬戸大橋や讃岐富士までも見晴らすことができます。 |
|
![]() |
『腰が強いうどん』
| 丸亀駅に着いて、タウンマップを見ても“丸亀製麺”がない。スマホで検索してもヒットしない。“はなまるうどん”もない!。 “丸亀城”大戸門前にあった食堂に入って“うどん”をオーダーした。提供された“かけうどん“が美味しいこと。腰がしっかりして硬さがない。歯ごたえがあるが喉をスーッと通り、小麦の香りも感じられ非常においしかった。出汁も魚介類の味がしっかりあり醤油の味より勝っていて飲み干すことができました。 “丸亀製麺”で提供されている“うどん”とは別物でした。 |
![]() |
| “讃岐富士”の飯野山。 全世界に展開されている“丸亀製麺”。丸亀製麺の店舗には“讃岐富士”の写真が飾られお出汁の説明が書かれています。 飯野山の左に見える山が綾川町。 綾川町の滝宮地区は讃岐うどん発祥の地と呼ばれています。伝承によれば、空海(774年~835年)によってもたらされたと言われており、香川出身の空海は中国で2年間学んだ後、うどんの作り方などの豊富な知識を携えて帰ってきたそうです。9世紀に作られたこの麺は現代の讃岐うどんのように長くなく、小麦粉と塩水を混ぜて作った生地を短く平らにばらしたものだったそうです。この小さな切れ端は、茹でた後、味の付いたつゆに入れて出されました |