Snapshot

薩摩report

開聞岳

『薩摩富士(開聞岳)』

薩摩半島のほぼ先端にある開聞岳。東シナ海が展望できる海岸沿いに薩摩藩の番所があった所に“番所鼻自然公園(バンドパーク)“があり、美しい開聞岳を望むことが出来る撮影ポイントです。

『開聞岳と百名山』
-薩摩の秀峰-
別名「薩摩富士」とも称される標高924mの薩摩の秀峰。約4,000年前の火山活動で形成された比較的若い山で、当地より左側稜線に見える突起部分が元の山頂でしたが、874年と885年の大噴火で山頂が盛り上がり現在の姿となったものです。

「番所の鐘」。鳴らす回数によって祈願の種類が変わる「幸せの鐘」です。
開聞岳から北に1~2Kmに『薩摩国一宮・枚聞神社』が鎮座しています。枚聞神社は開聞岳を御神体とされ、神社参道と拝殿を結ぶ線の先に開聞岳がそびえる事でも知られます。
今回は、枚聞神社の参拝を時間の都合から見合わせました。
『伊能忠敬・絶景の碑と開聞岳』
江戸時代、徒歩で全国を廻り日本地図を作成した伊能忠敬は、番所鼻より望む東シナ海に浮かぶ開聞岳と岩礁の曲線美が織りなす景勝を見て「けだし天下の絶景なり」と称賛したとされます。
この地に立つ石碑はこれを記念し昭和31年に設立されたもので、当時の首相・鳩山一郎の書による「伊能忠敬先生絶賛の地」との文字が刻まれています。
©看板より



池田湖

『九州最大のカルデラ湖』

薩摩半島南部の開聞岳の東横に池田湖があります。周囲15Kmのカルデラ湖で九州最大の湖です。

池田湖畔は12月中旬にも関わらず“菜の花”が満開です。


池田湖パラダイスの駐車場に設置されている“イッシー”像

スコットランドのネス湖にネッシーが住んでいると、西暦565年からネッシーの存在を語り継がれ1933年に目撃情報や写真が公開された。
しかし、1993年におもちゃの潜水艦にネッシーの首の模型を取付て撮影したと偽証が判明した。

湖に住む2mにも成長する「オオウナギ」ではないかとも云われている。

“イッシーくん”
昭和53年9月3日(1978年)、湖面を猛スピードで進む二つの黒い物体が泳ぐのが多くの人々によって目撃された
。水面に浮かぶコブとコブの間は5メートルほどあり、湖面は数十メートルに渡ってざわめいていたという。この事件は新聞やテレビで大きく取り上げられ、その後多くの目撃情報が寄せられるようになった。この道の巨大生物は、ネス湖のネッシーにあやかって「イッシー」と呼ばれるようになった。
イッシーの正体については、恐竜の生き残りであるとか、大ウナギ、巨大漁など様々な説が飛び交っており、その正体を突き止める為に無人監視カメラの設置やテレビ局による捜索も行われたが、現在まではっきりと確認できる目撃は未だに謎のままである。   『池田湖』
湖畔の“小さいネッシー君”の像は駐車場の左右に二匹置かれています。

“黄金の鳥居“が観光名所にされていたのでチョット寄ってみました。
実際に黄金の鳥居をみるときゃしゃで何だか手作り感が歪めません。

鳥居の上に乗せてある篭に“投げ銭”で金運を占うそうです。 「幸せの水を吹く金豊龍」が祀られています。




長崎鼻

『薩摩半島の最南端』

薩摩半島の最南端が長崎鼻です。
沖には東シナ海が広がり、屋久島や種子島が望むことができます。

『霧島錦江湾国立公園』

長崎鼻から夕日が沈む開聞岳を撮影したく夕方を狙って来ました。


12月だから太陽が沈むのは南よりだから太陽と開聞岳が同一アングルに収まる場所を探して撮影しました。
シルエットだから本物の富士山に見えないかな?
ここの長崎鼻にも竜宮伝説が存在しました。
長崎鼻にある龍宮神社は、日本各地に伝わる「竜宮伝説発祥の地」とされる神社です。竜宮伝説とは亀を助けた浦島太郎が竜宮城に招かれる物語のことで、「日本書紀」や「古事記」に書かれていますが日本昔話としてテレビ漫画や紙芝居で広く認知されています。

龍宮神社は、豊玉姫(乙姫様)を祀っています。
龍宮神社周辺は夏になるとウミガメが産卵にやってくるのですが、このウミガメが浦島太郎の亀だったという説があります。そして、龍宮神社のご祭神である豊玉姫(とよたまひめ)が、乙姫様のモデルになったとのこと。また、浦島太郎はこの龍宮神社から竜宮城へ向かったという伝説から、浦島太郎と乙姫様との出会いの地であるとして縁結びのご利益があるとされています。
灯台へ行く途中に浦島太郎の石像があり、石像の周りを2回まわって亀をなでると、願い事がかなうといわれており、亀を触る人で行列ができます。浦島太郎の周りには、願い事の書かれた貝殻がたくさん置かれていました。

 男性は左から二回まわる。
 女性は右から二回まわる。
 二回まわって亀を撫でたら
 願い事が叶うと言われています。
龍宮神社と長崎鼻について
①この龍宮神社は古事記、日本書紀にある豊玉姫(乙姫様)を祀つてあります。長崎鼻には古くから浦島太郎伝説があり,発祥の地と言われています。古書に「竜宮城ハ琉球ナリ」と云われ、黒潮浮かぶ遥か南の城球城を彷彿とさせます。
②この海岸一帯砂浜には、今もたくさんのウミガメが産卵のために上陸します。ウミガメが産卵する場所は、近くに豊かな漁礁があり亀にとってもたくさんの餌があること、また外敵が少なく安全で、孵化した赤ちゃん亀が無事に海に戻れるような、砂浜が広がっていることがあげられます。
③つまり、ウミガメが上陸する海岸は、海の幸を育む豊かな自然があることから、昔から漁師や釣り人達は海の守り神として亀を大切にしました。亀が魚網にかかれば手厚くもてなし、お酒を振舞い海に帰してあげました。こうしたことから神話伝説とあいまって、浦島太郎や乙姫様を祀って信仰する風習は日本の至る所にあります。
④長崎鼻の龍宮神社は浦島太郎と乙姫様が出会った縁結びの神様として、また家内安全・商売繁盛・航海安全の守り神として今も多くの人が参拝に訪れます。
  ©看板より




知覧武家屋敷

『薩摩藩島津家の分家が治めていた武士屋敷』

知覧は島津家の分家の佐竹氏が地頭として治めていた武家屋敷が残っています。
「薩摩の小京都」で「みちのくの小京都」の角館を想像していましたが、全く異なる武家屋敷でした。
角館の武家屋敷は道路の脇が木製の塀で仕切られていますが知覧は石垣に植樹されたきぎが「木々が塀を「なしています。屋敷の中は庭園が作られ別荘」」

薩摩半島の南部中央が知覧。知覧へ向かう街道の両脇には今まで見たこともない広大な茶畑が広がっていて、数十本、数百本のプロペラがゆっくり回転していてそのスケールの大きさを見ることが出来ます。お茶の生産量は鹿児島県が一位であることが納得できる風景です。
知覧麓の武家屋敷群
 江戸時代の知覧は当初、島津家の分家である佐多氏が地頭として治めていました。佐多氏には優れた当主が多く出て、薩摩藩の中でも重要な役目を果たしました。その功績によって佐多氏十六代久達の時代に、知覧の私領地化と島津姓の使用が許されました。
 現在残る武家屋敷群は、佐多氏十六代島津久達(1651~1719)の時代もしくは、佐多氏十八代島津久峯(1732~1772)の時代に造られたものではないかとされています。地区内は石垣で屋敷が区切られ、沖縄によく見られる石敢當(魔よけの石碑)や、屋敷入り口には屋敷内が見えないように屏風岩(沖縄のヒンプン)があります。知覧の港が江戸時代に琉球貿易の拠点であったことから、武家屋敷も琉球の影響を多く受けているようです。          ©パンフレット
NHK大河ドラマ「西郷どん」は、ここ知覧武家屋敷群で撮影が行われました。
幕末の町並みを再現する為に屋敷の電灯や消火器など撤去され撮影されたそうです。



知覧特攻記念館

『太平洋戦争末期の沖縄戦に飛び立った特攻隊』

1945年(昭和20年)3月26日から第二次世界大戦の沖縄戦が始まり、鹿児島県知覧から爆装した戦闘機もろとも敵艦に体当たりする特攻隊が飛び立った。
知覧が特攻隊の出撃基地であったことから、沖縄戦の特攻作戦で戦死されフた隊員1、036名の当時の真の姿・遺品・記録を後世に残し、この史実を多くの方に知っていただき、特攻をとおして戦争のむなしさ、平和の大切さ・ありがたさ、命の尊さを訴え、後世に正しく語り継ぎ恒久の平和を祈念することが基地のあった住民の責務であろうと、特攻基地跡の一角に知覧特攻平和会館を建設しました。     ©パンフレット
1962年(S37)より「少年サンデー」で連載された『大空のちかい』で隼戦闘機が描かれていた。

『隼』
中島飛行機株式会社(なかじまひこうき)は、1917年(大正6年)から1945年(昭和20年)まで存在した日本の航空機・航空エンジンメーカー。通称は中島(なかじま)。創業者は中島知久平。

エンジンや機体の開発を独自に行う能力と、自社での一貫生産を可能とする高い技術力を備え、第二次世界大戦終戦までは東洋最大、世界有数の航空機メーカーであり、日本軍向けに多くの軍用機を開発・製造した。現在のSUBARU、日産自動車の前身。
世界恒久平和を願いながらこの知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦で、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも敵艦に体当りした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示して当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与するものです。
知覧は、1941年(昭和16年)、大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所が開校、・少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官らが操縦訓練を重ねていましたが戦況が緊迫し険悪となり、遂に1945年(昭和20年)本土最南端の陸軍特攻基地となり、20歳前後の若い隊員達が満州・日本内地から集結しては、家族・国の将来を思いながら出撃した地です。
沖縄戦で特攻戦死された1,036名の隊員は、知覧基地を主軸として万世・都城基地から、第8飛行師団は台湾各基地、義烈空挺隊は健軍(熊本)基地から出撃しています。©パンフレット
零式艦上戦闘機
海軍 零式艦上戦闘機
 この飛行機は、旧海軍の主力戦闘機として使用されていた零式艦上戦闘機52丙型です。
 鹿児島県の甑島(薩摩川内市)の手打港沖合に昭和20(1945)年5月にエンジントラブルによって不時着水し、水深約35mの海底に沈んていたもので、機体の前方部分だけが残っています。
昭和55(1980)年6月、知覧町(現、南九州市)によって35年ぶりに引き揚げられました。 ©展示パネル

無残な機体を展示するのは「平和記念館」よりは京都府八幡市の『飛行神社』で展示された方がよいのかと思います。
ゼロ式戦闘機。子供の頃、一番早く飛行できるゼロ戦のプラモデルを何機つくっただろうか?。
2013年に宮崎駿の『風立ちぬ』で描かれたゼロ戦開発物語。


2024年パリオリンピックの卓球の日本代表の”早田ひな”選手は帰国後にやりたいことについて、「鹿児島の特攻資料館に行って生きていること、卓球ができることが当たり前ではないということを感じたい」と話していました。私は2023年の暮れに『知覧特攻平和記念館』を訪れていて、若い青年が戦争で無残にも命を散らした記録を見学して恒久的な平和を願った。早田ひなも同じ気持ちを味わいたいのでしょう。