Snapshot

長崎駅~崇福寺report

長崎中華街

『日本三大中華街』

中華街と言えば、「横浜」「神戸」そして「長崎」です。朝の10時前に着きましたので、まだ営業されてないため中華街の出入り口だけ撮影しました。
神戸の南京町には行った事があり、中華街入口の門はよく似ていますね。


坂本龍馬 亀山社中

『坂本龍馬が創設した日本初の株式会社「亀山社中」』

長崎電気軌道5号線の「新大工町」駅を降り中島川を渡ると若宮稲荷神社の三の鳥居前にでます。

石段を登って行くと“亀山社中”への方向掲示板を見て歩いていると、若宮神社の鳥居が見えてきました。鳥居の先は急勾配の石段を登った先に若宮稲荷神社があり本殿の前に「坂本龍馬神社」が建立されていました。

坂本神社には坂本龍馬が未来を見つめ堂々としている銅像が建立されている。

なんと、坂本龍馬神社は訪れた2日前の2022年11月23日に創建され2日目に参拝したことになります。
風頭公園展望台にも大きな坂本龍馬像があります。
坂本龍馬と長崎
坂本龍馬は天保6年(1835)、土佐高知城下に生まれました。江戸で剣術や砲術等を修業したのち、武市半平太らか結成した土佐勤王党に加盟し政治活動を始めました。文久2(1865)に土佐を脱藩し、幕臣・勝海舟に師事して航海術を学びます。慶応元年((1865)には長崎で「亀山社中」(のちの海援隊)を結成し、「薩長連合」や「大政奉還」といった大きな足跡を幕末の歴史に残しました。慶応3年(1867)11月、維新を目前にして京都河原町の近江屋二階で暗殺され、その波乱に満ちた生涯を閉じました。
当地長崎は、龍馬が最も活躍した慶応年間にその本拠を置いたところであり、今もゆかりの史跡が数多く残されています。  ©亀山社中記念館パンフレットより
『亀山社中資料展示場』と『亀山社中跡記念館』があります。
坂本龍馬神社から少し下った所に「亀山社中資料展示場」があります。

ここは、ボランティアで運営され無料です。管理者さんは優しい人で自由に見学や写真撮影を許可して頂きました。「”中岡慎太郎”の資料はないですね」と尋ねると「彼は”陸援隊”なのでありません。」とか、大河ドラマ“龍馬伝”、“近江屋” など龍馬談義で花が咲き居心地のよい資料館でした。
館内には、幕末の志士の写真、有名人の色紙、大河ドラマ“龍馬伝”の撮影秘話の本などが置かれ自由に閲覧可能でした。

昔は無名の「坂本龍馬」でしたが司馬遼太郎の「龍馬がいく」で一躍脚光を浴びたとされて、坂本龍馬が活動した、高知、京都、神戸、鹿児島などがゆかりの地として観光の目玉になっています。

ここ長崎は「坂本龍馬」が1865年に日本初の株式会社「亀山社中」を設立したゆかりの地として観光の目玉とされています。

龍馬は、海外の文化や学問があふれる長崎まで来て学び、薩長同盟の設立や日本初の商社亀山社中を発展させ「海援隊」という会社を設立し、龍馬が夢に描いた近代化への道に多大なる影響を与えたのが長崎でした。


風頭山には坂本神社に置かれている坂本龍馬と同じデザインで3mの高さの坂本龍馬の銅像が立っていると案内され、同じく資料館に訪れられた観光客の方が、“是非、行かれるべきです。必見です。”と言われましたが、資料館の管理人さんが「大変な道のりで無理をされ内容が良いですよ。」とアドバイスをいただきました。



慶応2年1月21日(1866年3月7日)に小松帯刀邸(京都市上京区)で締結された、薩摩藩と長州藩の政治的、軍事的同盟。薩長盟約、薩長連合ともいう。
「亀山社中資料展示場」から少し下ったところに長崎湾が見渡せる所に“ブーツ”が置かれています。坂本龍馬がここで長崎湾を眺めたとされています場所で、坂本龍馬が言いました。「日本の夜明けぜよ!」



「亀山社中」は1865年の夏に結成され、グラバーから小銃・艦船を購入し長州へ輸送したりしている。
翌年1月に、薩長同盟が締結され、京都伏見の寺田屋で襲撃されている。
1867年4月に“海援隊”を発足
「亀山社中跡記念館」があります。
「亀山社中跡記念館」は長崎市が整備・公開され有料ですが観るところが少ないのに館内撮影禁止です。
貿易の仲介や物資の運搬を行った日本初の商社です。長州藩の為にミニエー銃や蒸気船の買い付けを行い薩長同盟の手助けを行った。
亀山社中とは
日本初の商社とされる亀山社中は、慶応元年(一八六五)、薩摩藩等の援助により坂本龍馬が中心となって組織されました。社中のメンバーには神戸海軍操練所出身者が多く、航海技術を生かして物資の運搬や貿易の仲介を行いました。特に当時反幕府の立場にあった長州藩に対し、薩摩藩名義で武器や艦船の購入をあっせんするなど、薩長連合へとつながる大きな役割をはたしました。亀山社中の名は、彼らが最初に拠点を構えた地「亀山」と、仲間・結社を意味する「社中」をあわせてそう呼ばれました。
館内で撮影が許可されているのは、坂本龍馬が木の机に右肘をついている等身大の写真が掲げてあり、その前に木の机が置かれ坂本龍馬の形態を模写して写真が撮影できると云うだけのものでした。




お寺通り

『寺院が建ち並ぶ寺通り』

 亀山社中跡から竜馬通りの石段を下った麓には寺町通りに沿って14の寺が並んでいます。
【深崇寺 浄土真宗本願寺派】 三宝寺 浄土宗
寺町通りは、石畳など昔ながらの風情ある雰囲気のする通り歩くと一列に寺院の門が建ち並んでいます。一社一社参拝するには時間的余裕がないので通りから見える門を撮影しました。
浄安寺 浄土宗 興福寺 日本最古の黄檗宗の寺院
寺町通りの中心にあるのは、興福寺(1624年創建)で、黄檗宗開祖の隠元(いんげん)氏ゆかりの寺です。

隠元氏はインゲン豆を中国からもたらしたことで名前が知られて名前が豆の名前になったとして知られていますが、フジマメだった説もあるみたいです。
延命寺 真言宗御室派 長照寺 日蓮宗
「和華蘭文化」という、日本、中国、オランダの文化が混ざった長崎独特の文化と歴史を感じさせる場所で、歩いて心落ち着く場所でした
晧台寺 曹洞宗
毎年10月に開催する長崎最大のお祭りの1つ「長崎くんち」の会場として有名な諏訪神社。


崇福寺

『1629年に渡来した唐僧超然により創建された。』

長崎電車終着駅に崇福寺が建立されています。
崇福寺(そうふくじ)は黄檗宗の寺院。
異国情緒ある伽藍です。

1629年に渡来した唐僧超然により創建された崇福寺は福州寺とも呼ばれ、竜宮門を思わせる三門や珍異奇巧を極めている第一峰門があります。

殿堂内の仏像仏具類は、いづれも中国人名匠の手によるもので、明朝末期文化の縮図といえるものです。
第一峰門と大雄宝殿は国宝に指定され、その他にも国指定重要文化財、県指定有形文化財、市指定有形文化財を多数もつ文化財の宝庫です。
境内にはコウモリや牡丹、桃の花など中国で縁起物とされる模様が随所に施されています。隅々までじっくり見回してこうした縁起物を探すのも崇福寺を見学するポイント!

「大雄宝殿」

「護法堂」
【媽姐堂(まそどう)】
媽姐とは、海上守護神として華南地方で尊崇されている。
長崎の唐寺の特色は媽祖堂(まそどう)をもつことで、唐船主たちが航海安全を祈願して祀ったものです。媽祖とは海の神様のことで、中国建築様式と和様が違和感無く調和しています

大河ドラマ『龍馬伝』で土佐の坂本龍馬が長州の高杉晋作から『諸外国から侵略されると牛や馬のように扱われ悲惨なことになるから諸外国を排除する。攘夷を進言する』と言われ「長州と薩摩に同盟をむすばせる決意を大事なシーンのロケ地になっています。
「大釜」1682年の大飢饉で、この大釜で粥を炊き、多くの難民を救ったと言われる。


この木製の鯉は、黄檗山萬福寺にも同じものが掲げられていたのを思い出しました。


思案橋

『昭和の大ヒット曲「思案橋ブルース」』

「♪~
  哭いているような 長崎の町 ~~
  ああ~ 長崎 思案橋ブルース
                ~♪」
現在、川は地下に埋められ思案橋は欄干1本のみが残っていました。

1968年に大ヒットした”思案橋ブルース”は中井昭・高橋勝とコロラティーノの曲だとされてますが、西田佐知子が歌っていたのを記憶しています。

30年ほど前に訪れた時の“思案橋”駅の写真と現在の風景を比べると当時の風景が維持されています。

福砂屋(カステラ)

『美味しいカステラ店』

長崎と言えば「カステラ」です。長崎の知り合いが必ずお土産に「福砂屋」のカステラを持ってきてくれます。本店の所在地を調べ思案橋の本店まで買いに行きました。

福砂屋は、1624年、ポルトガル人より直接伝授されたカステラなどの南蛮菓子づくりを始め、「長崎カステラ」を創案。
卵の味が濃厚でもちもちの食感でザラメが敷いてありますが甘さは抑え目のカステラで、他のメーカでもザラメが敷かれ始めていると思います。

福砂屋本店は古式ゆかしの面持ちです。
店内では多くのお客さんが大量のカステラを購入されています。
 ”0.6号 50本”と注文され店員さんが”両替屋の帳場”の様なレジに代金を渡しお釣りとレシートを受取お客さんに渡されています。

大きな紙袋に大量のカステラを入れたお客さんが出入りされ大変繁盛しています。

帰りの長崎空港、駅でも”福砂屋”の紙袋を下げた旅行者が沢山見え有名であることを再認識しました。



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