『美ら海水族館』
| 1972年5月15日に沖縄が日本に返還され、1975年(昭和50年)に『沖縄海洋博覧会』が開催された跡地に設置された『海洋博公園』。 ① 美ら海水族館 ② 海の生き物たちに会える「オキちゃん劇場と周辺施設」 ③ 写真映えしそうな花々が咲き誇る植物園「熱帯ドリームセンター」 ④ 琉球王国の集落を再現!「おきなわ郷土村」 ⑤ 海洋文化の歴史を学べるスポット「海洋文化館」 那覇空港からバスで2時間もかかる沖縄北部の本部半島にある『海洋博公園』 |
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| 『海洋博公園』のメイン施設の美ら海水族館。 開館(旧館)1979年8月 - 2002年8月31日 (新館)2002年11月1日 美ら海水族館の目玉の大水槽「黒潮の海」。 7500トンの海水を支えるアクリルガラスの厚さは約60cm!とされレンズ効果はなく、水槽内の魚はほぼ実物大で見ることができます。 悠々と泳ぐジンベイザメ。 |
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美ら海水族館の4階から東シナ海を望むと 遠くに見える“伊江島”。 美ら海水族館から目と鼻の先(5Km)の“伊江島”が見えます。 城山(伊江島タッチュー) |
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| 「海洋博公園」のイルカ用プール。無料でイルカショーが見学できます。 海洋博の時は写真の左の方角に海洋博の「半潜水型富裕式海洋構造物」“アクアポリス”が設置された所になります。 |
| 『男はつらいよ ハイビスカスの花』 昭和55年のロケ地が、『瀬底島』( 瀬底島に渡る「瀬底大橋」 瀬底島は1980年の“男はつらいよ ハイビスカスの花”のロケ地になっている。 この瀬底大橋は1985年完成の為、ロケ当時は開通していなかった。 瀬底島の先に「ヒルトン沖縄瀬底リゾートホテル」があります。長崎に行ったとき“ヒルトンホテル”は、無料WIFIが無く、サービスが悪かったので、今回はJTBで一応ヒルトンホテルを断ったが、他に安いホテルが無く“ヒルトンホテル”に宿泊したが、やはりサービスはイマイチであった。 WIFIは有料、アメニティは櫛が置いて無い、前宿泊者の髪の毛が浴槽のドアに付いていた。また朝食も他のホテルより品数が少なく不満足でした。もう“ヒルトン”には宿泊しないと強く思った。 |
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『高千穂神社は高千穂郷の総社』
| 沖縄本島の北海岸の真ん中。鹿児島県を起点に沖縄まで続く国道58号線を部瀬名岬へ向かった先に“ブセナ海中公園”があります。 |
| 2000年(平成12年)7月21日から23日間、第26回主要国首脳会議(サミット)が、ブセナ海中公園の山の上の『万国津梁館』で開催された。 |
海中展望台は、海中展望台。円筒形の筒を海に突っ立てただけ。橋を渡り展望台と言われる筒に入ると螺旋階段があり降りていくと海底まで到着します。 海底には窓があり海中を見ることができます。 |
| 海中はちょっと濁っていましたが魚たちが泳いで近づいてきます。 どうも入口で撒餌をして魚たちを集めているみたいです。 |
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『北山王の居城』
| 今帰仁城 【世界遺産】 沖縄の地名の呼び方は難しい。“なきじんじょう”と呼びます。 美ら海水族館から北海岸を走り8Kmあたりに“今帰仁城跡”があります。 14世紀(鎌倉時代、室町時代前半)では、沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山が支配していた「三山鼎立の時代」で、北山王は今帰仁城を拠点に支配していて、中国と貿易をしていた。 1422年に中山の“尚巴志”によって滅ぼされた。 1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上したとされています。 |
| 琉球王国(1429~1879年)が成立する前から沖縄の各地に造られ、石垣や石積みの門などが特徴的な軍事拠点。沖縄の文化や歴史をひもとく上で重要な遺跡だが、成り立ちや当時の利用実態など不明な点が多く、研究が続いている。2000年、首里城跡や今帰仁城跡などを含む「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が世界文化遺産に登録された。 |
| “オオジマゼミ” “ジューワ、ジューワ”、”カン、カン”と声が聞こえてきます。 10月下旬にも係わらず聞きなれないセミの鳴き声が聞こえます。 “オオシマゼミ”は、”クマゼミ”より若干小さい、透き通った羽をしています。 沖縄の10月下旬は、」 ヒガンバナ科のショウキズイセン
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| 今帰仁城跡から名護市へ行く途中に 与那嶺。1974年に巨人のV10を阻止した中日ドラゴンズの監督。 仲宗根。昭和40年代に活躍さえた歌手。テレビでよく見ていた。 勢理客。 |
『テーマパーク』
| 沖縄本島の中間の国頭郡恩納村山田。那覇空港から車で1時間もかかるところにある“琉球村”。 沖縄本島、恩納村にある“琉球村”。琉球とは中国側からの呼称。 「琉球村」は、レストラン&体験コーナーと琉球時代の旧民家を移設したテーマパークから構成されています。 |
| 妖怪「きむじなぁ」 琉球村 体験コーナー ・オリジナルシーサー色付け ・沖縄ガラス万華鏡 ・シーサーのせのせ ・天然石ブレスレット作り ・こねこねシリーズ ・琉球衣装を着る沖縄体験 ・沖縄の楽器の三線体験 |
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| 琉球村には、『国登録有形文化財』の沖縄を代表する住宅が移設されています。 旧仲宗根家、旧國場家、旧玉那覇家、旧平田家、旧島袋家などが移設され、写真は旧西石垣家かな?。 |
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| 「那覇大綱挽」で使用された大綱が保管されています。 大綱は全長200メートル、総重量43トンの「世界一のわら綱」としてギネス認定されています。 |
| 池の対岸の森の中に『きむじなぁ劇場』があります。 | ![]() |
| ガジュマルの木の下に住む妖精“きむじなぁ” “きむじなぁ“は昔から沖縄で言い伝えられている、精霊(妖怪)で、人気があるのでしょう。その多くがガジュマルの古木に住み、赤い髪で背丈は人間の子供程度だと言われています(諸説あり)。 ゲゲゲの鬼太郎の“きむじなぁ”は、丸い毬藻のようでまん丸い目が付いています。 NHK連続テレビ小説“ちゅらさん”に出てくる“きむじなぁ”は、小学6年生くらいの赤い髪をした男の子でした。 |
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| 『きじむなぁ劇場』でエイサーショーが行われています。 エイサーとは、旧盆の夜に行われる祖先をあの世へ送り出す踊念仏のことであり、沖縄を代表する伝統芸能の一つです。 京都で言う“大文字の送り火”ですかね。 各地域の青年会が、三線が奏でる音楽にあわせて太鼓や手踊りをしながら夜の地域内を練り歩き、先祖の霊を迎えるとともに、五穀豊穣や家内安全などを祈願します。 |
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『万人が座れるほど広い原っぱ(毛)』
| 沖縄本島の東シナ海側のほぼ中央に位置し、琉球石灰岩の断崖から臨む東シナ海は、海中のロケーションと共に海の色合いを変化させ、とても綺麗で雄大な景色が広がります。 万座毛への入口に石碑があります。 左が『巌谷小波』、右が『恩納ナビー』です。 巌谷小波[1870〜1933]は、児童文学者・俳人。昭和7年秋に恩納ナビーの歌碑を訪れたとし記念碑 『恩納ナビー』は18世紀 恩納岳の麓に 天才的な歌詠みの娘です。 マッコーという庭木がある家の娘だから マッコー屋ぬナビー と呼ばれていた。 当時の農民は封建的な様々の制約の中で 生きていたが ナビは歌のなかでそれらの 束縛を軽妙に皮肉ったり 恋人への思いを 情熱的にうたったりと 自由闊達に優れた 琉歌を作り 広くその名を知られていた。 ナビ は貧しくとも 精神は純朴で自由であった ひとりの沖縄女性として 現代に語り継がれている。 |
| 『万座毛』の由来は1726年、琉球の国王、尚敬(第13代王)が「万人が座するに足る毛(野原)」と褒め称えたことから名前がついたと言われています。 琉球石灰岩の台地の上には、天然の芝が広がり、その周りの植物群落は、県の天然記念物に指定されている。 県指定:名勝・天然記念物 |
| 断崖絶壁の上に広がる平らな芝生の敷地。先端には象の鼻のような岩が付いています。“象の鼻”、海から押し寄せる波が白く打ち寄せています。 飛行機が嘉手納基地へ向かって飛行しています。 |
| 遠くに見える白い建物が『万座ビーチホテル&リゾート』 薬師丸ひろ子の『メイン・テーマ』のロケ地です。1984年(昭和59年)に角川春樹事務所が製作した日本の青春映画であり、青森県弘前市の映画館で鑑賞しました。内容は全然覚えていません。 |