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福井report

丸岡城

『現存天守12城の1つ』

加賀温泉から永平寺へ向かう国道8号線の途中に、丸岡城への看板を見ることができます。ここまで幾つもの看板があるのならと寄ってみると、現存12城の一つでした。

越前(福井)、越中(富山)、越後(新潟)の越前に柴田勝家の甥の勝豊が1576年に築城した最古の天守らしいです。
天守閣を登るには急な階段でロープが垂れていてロープをもって登って行きます。敵兵が簡単に上がってこれないようになっているのだと感心しました。




北ノ庄城址

『柴田勝家の居城跡』

福井駅から西に伸びる商店街を歩いていると柴田勝家が築城した北ノ城址があります。そこには、柴田勝家、お市、浅井さん姉妹の像と石碑があります。

柴田勝家は織田信長の筆頭家老で髭が剛毛で愚直者として描かれています。

反信長勢力の朝倉家滅亡後、織田信長から越前の国を与えられ1575年に北ノ庄城を築城。

”本能寺の変”後の織田家後継者選びの“清州会議(1582)”で、織田信長の仇の明智光秀を打った秀吉の提案に屈した柴田勝家は立場が逆転した。
織田家の後継者で信長の孫をおす羽柴秀吉と信長の三男をおす柴田勝家が対立し「賤ケ岳の戦い(1583)」で勝家が敗れ自害とともに北ノ庄城は消滅しました。

お市さんは織田信長の妹で絶世の美女とされ羽柴秀吉、柴田勝家憧れの姫でしたが本能寺の変後、お市は秀吉を嫌い対決する柴田勝家に嫁いだとされます。織田信長の妹のお市様と三姉妹(茶々、初、江)。
北ノ庄城は、大河ドラマ等を見ていると山城と思っていたら平城だったのには驚きました。

「賤ケ岳」は”余呉湖”と琵琶湖を隔てる山で山頂の戦で余呉湖が真っ赤になるほど激しい戦いだったそうです。
この戦いの後、三姉妹は羽柴秀吉に引き取られ数奇な運命をたどることになる。




福井城跡

『柴田氏北庄城跡地に築城された福井城』

「柴田氏北ノ庄城」跡地に結城氏が慶長6年(1601年)に築城または改築した「結城氏北ノ庄城(後に福井城に改名)」とある。

城跡の堀の中に福井県庁が建てられ北西の角に天守閣跡がありました。
福井城天守
 福井藩初代藩主結城秀康は、慶長6年(1601)から約6年かけて福井城(北庄城)を築城し、本丸には壮大な天守が偉容を誇っていた。
 残されている天守絵図によれば、外観は四層であるが、最下層の開港を高くとって二階分の床を張っており、約28メートルあり、天守台を含めると約37メートルにもなる。
 今に残る天守台と控天守台には、大きな礎石が並んでおり、天守台の北半分に天守が建っていたのであろう。
 四層五階の壮大な天守も、寛文九年(1669)四月の大火で焼失して以来、再建されることはなかった。
   ©看板より


永平寺

『曹洞宗大本山 永平寺』

九頭竜川の支流の永平寺川の上流に、永平寺が建立されています。永平寺は、曹洞宗の「大本山永平寺」。
九頭竜川に沿った奥深い山の中にシンシンと雪が降る場所に建立されています。

寛元二年(1244年)道元禅師によって開かれた座禅修行の道場です。

【龍門】
禅戒一如とも言い、坐禅で学んだことが、生活に現れるという考えからです。
南無釈迦牟尼仏を唱え、釈迦を本尊とします。
訪れた時は、修行僧の卒業式らしき行事が執り行われていて、入場を待機していました。

【般若心経】
観自在菩薩    行深般若波羅蜜多時
かんじざいぼさつ  ぎょうじんはんにゃはらみったじ

照見五蘊皆空        度一切苦厄
しょうけんごうんかいくう  どいっさいくやく

舎利子    色不異空    空不異色
しゃりし   しきふいくう  くうふいしき 

色即是空     空即是色
しきそくぜくう  くうそくぜしき 

受想行識亦復如是         舎利子
じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ  しゃりし
「七堂伽藍」
山門(正面)、仏殿(仏陀の大広間)、法堂(達磨堂)、僧堂(僧侶の館)、大庫院
(台所と管理棟)、浴司(浴室)、東司(トイレ)七堂伽藍の建物は、すべて屋根付きの回廊で繋がっている
NHK紅白歌合戦のあとに『ゆく年くる年』で中継される寺院ランキングで6位の『永平寺』。 「法堂」
深山幽谷の境内には70余りもの殿堂楼閣が建ち並び、中でも「七堂伽藍」と呼ばれる7つのお堂(法堂・仏殿・僧堂・庫院・山門・東司・浴室)は、僧侶が修行をする清浄な場所として特に重要な建物とされています。『永平寺』では今も多くの修行僧が日々厳しい修行に励んでおり、参拝者はその様子を伺い知ることができます。 「中雀門」




一乗谷朝倉氏遺跡

『一乗谷朝倉義景』

越前を103年にわたり支配してきた戦国大名の朝倉家。福井駅東方にある一乗谷は朝倉家の居城。南北10Kmに及ぶ渓谷です。

『元亀争乱(1570~1573)』:織田信長と反信長勢力(足利義明将軍、三好、松永、浅井、朝倉)との激しい抗争(1570~1573)の中で朝倉家が滅亡しました。
一乗谷の朝倉館跡、館跡庭園が残り城下町は復元されました。

大河ドラマ2020年“麒麟がくる”で明智光秀(長谷川博己)は美濃を追われ朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)を頼って身を寄せていた。
谷の川を挟んで東側に朝倉家の遺構です。
屋敷跡、庭園跡は

西側に町並みが復元されています。




東尋坊

『サスペンス劇場』

マグマからできた「輝石安山岩」が柱の様に切り立った断崖絶壁。
岩の上に立つと本当に恐怖におののくばかりです。

25mの断崖。




福井駅

『恐竜王国』

福井県は、まさに「恐竜王国」と呼ぶにふさわしく、国内随一の恐竜化石の産出地です。
福井県の恐竜化石発掘は、昭和57年に、勝山市北谷町の杉山川河岸で、中生代白亜紀前期のワニの化石が発見されたことに始まります。昭和63年には、同じ場所で、福井県立博物館(当時)が恐竜化石の発掘を目指して予備調査を実施したところ、期待通りに肉食恐竜の歯などを発見しました。この調査を踏まえ、平成元年から5ヵ年計画で化石発掘調査に取り組み、肉食や草食恐竜をはじめとする多数の歯や骨、足跡等の化石を発見・採取することができました。その数は、日本で発掘された恐竜化石の大部分を占め、さらに、恐竜の連続歩行の足跡化石群や、肉食恐竜の「かぎづめ」が国内で初めて完全な形で発見されるなどその質としても非常に優れていました。
こうしたことから、福井県は日本の恐竜研究の中心として注目を集めるようになったのです。
福井駅は再開発中でした。恐竜のオブジェで溢れています。


それは1982年にワニの化石が発見された。
ワニの化石は中生代白亜紀前期のもので2.5億年前から6500万年前を指し、福井県で見つかったことは歴史的に重大且つ貴重なことだったのです。
これを機に福井県で恐竜の化石発掘の機運が高まり、1989年から10年間に第1次・第2次恐竜化石調査事業が展開されると、福井県では5種の新種恐竜化石が発見されたのです。国内で発見された恐竜化石で新種として学名がついている恐竜は7種ありますが、そのうち5種が福井で発見されていることから福井が恐竜王国を自認するに至ったのです。
恐竜博物館のある勝山市で発見された






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