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木曽report

馬籠宿

『木曽路はすべて山の中である』

 『木曽路はすべて山の中である』
木曽山脈の中山道に十一宿場あり尾張側の宿場は「馬篭宿」。

宿場の風景に情緒があり風情があり、建物は江戸時代の風景で風情があります。
大きい水車がゴトゴトと回転している風景がすきです。
中山道の馬篭から山の中から見渡す光景は大空と下界を望む雄大な景色になって楽しめます。

馬篭の駐車場は観光地用整備がされ散策者が多く訪れていました。
文豪”島崎藤村”が生まれた地です。藤村は馬篭で生まれ育ち記念館もあります。
「夜明け前」「破壊」の題名は知っていますが読んではいません。済みません。




岩村城跡

『日本三大山城の岩村城』

日本三大山城の岩村城。
天空の城は“竹田城”とされていますが、竹田城の海抜は353mで岩村城は717mで2倍以上の高さになります。
築城は、鎌倉幕府の源頼朝の重臣加藤景廉の長男が1221年に築城し竹田城は1431年の200年も前に築城されていたことになります。
その岩村城跡には石垣が今も残っています。野面積の石垣ですがこれ程立派な石垣をつくるなんてと感心しました。700m以上の山に5重6重と重ね上げた石段を作ることは並大抵のものではないでしょうか?。


岩村城は、城内mapを見て頂いて判るように広く登城するにも険しく、城下町も栄えていました。自家用車で山頂近くまで登ったので城下町を散策するのも良かったかなと思いました。

岐阜県指定史跡 岩村城址
 岩村城は別名を霧ヶ城といい、天然の峻険な地形を活用した要害堅固な山城で、海抜717メートルに位置し、全国の山城の中で最も高地にあり、日本三大山城の一つである。
 岩村城の創築は鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝の重臣加藤景廉が、文治元年(1185)に遠山荘地頭に補されたのに始まる。景廉の長男が景朝が岩村に移り、加藤の姓を地名の遠山に改め、以後遠山氏が代々居城した。
 戦国動乱の時代に入り、武田信玄の臣秋山信友が天性元年(1573)に岩倉城を奪取して入城したが、同3年に織田軍に敗れ、以後城主は川尻鎮吉と森蘭丸、森長一、森忠正の森3代、田丸具忠と28年間に目まぐるしく交替した。
 慶長5年(1600)関ケ原合戦後、西軍に属した田丸氏に代わって松平家乗(大給松平家)が城主となった。江戸時代の城主は松平氏2代、丹羽氏5代のあと大給松平分家の松平7代を経て明治維新を迎えた。
 城郭は中世城郭を近世城郭へと修築し、本丸、二之丸、出丸、帯曲輪、東曲輪、八幡曲輪等々が設けられ、要所に櫓、塀、城門が構えられた。
 建物は明治維新により廃城され、後明治6年(1873)に取壊された。
   岩村町教育委員会  岐阜県教育委員会   ©看板より
城主の中に女城主が見えました。“おやつの方”で織田信長の叔母さんに当たり織田信長の五男を養子にしましたが天敵武田側に協力したことから縁を切られました。
その後も城主は入れ替わり1873年の廃城令により城は解体され石垣が残っていますが石垣の作り光景に圧倒されました。

石垣の間から望む光景は、山々に囲まれ空は高く自然の雄大さを感じられます。
NHK大河ドラマ“麒麟がくる。”で明智光秀の出生地とされる可児市の明智城も訪れたいです。



恵那峡

『渓谷のダム湖』

木曽川の中流の渓谷地。大井ダムから10Kmに渡るダム湖を遊覧船に乗って観光すると、川岸には奇妙な岩が沢山見ることができます。
獅子岩などの名前が付けられています。
以前、山の上に遊園地があり何度か来たことがあります。”ゴレンジャー”のショーを見ていました。





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