『斎藤道三と織田信長の国盗り物語』
| 戦国時代、一介の油売りから身を起こし美濃国の国主になった斎藤道三と、隣国の尾張国に生まれ破天荒な政略・軍略で天下布武を押し進めた織田信長を扱った『国盗り物語』の舞台。 金華山(旧名:稲葉山)の山頂へロープウェイで登って行くと景色がどんどん広がります。山頂駅から尾根伝いに歩いて岐阜城を目指します。山頂に築かれている現岐阜城は再建天守閣で天守閣から長良川やその先の遠くの濃尾平野まで見渡せる展望で天下を見渡せる気分になります。 |
| 稲葉城。斎藤道三は長良川沿いの金華山の山頂近くに稲葉山城を築き美濃国の国王になった。 織田信長は斎藤龍興(道三の孫)との“稲葉山城との戦い”で勝利し“岐阜城”と名称変更し“天下布武”を宣言した場所です。 |
| 長良川の下流の墨俣までも見渡せたのでしょう。 地元の皆さんは、岐阜城に登ったではなく“金華山を登った。“と言われ、金華山は岐阜県民のシンボル的な山で100万ドルの夜景と言われドライブウェイはデートスポットになっています。 現在でも麓で発掘調査が行われています。織田信長の居城とか沢山の家臣の住居が建てられていたとされています。 |
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ロープウェイ山頂駅から徒歩3分の処に豊臣秀吉が掲げている千成瓢箪の発祥地があります。
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『木下藤吉郎が一夜で建てた城』
| 木下藤吉郎が一夜で建てたとされる城。 墨俣は織田信長が稲葉山城攻略の起点地。斎藤家の稲葉山城の横を流れる長良川の下流で天王川と合流地点、織田信長にとっては美濃攻略するには戦略上の要地です。斎藤家との度々合戦があった地でしたが、木下藤吉郎が、蜂須賀小六の力を得て、長良川の上流で木を伐採し筏を作り嵐の夜に筏を長良川に放ち墨俣で筏を回収して一夜で城を築いたとされています。信長はこの墨俣城を得たことで稲葉城が攻略できたとされている。 |
| 小栗旬の“信長協奏曲”第4話で「サルの一夜城大作戦」が放送されているので観賞してください。 当時は天守閣を持たない城ですが、写真は平成3年4月に墨俣一夜城(墨俣歴史資料館)です。 |
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| 当然、豊臣秀吉を祭る“豊国神社”も鎮座されています。 |
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『旅客機、戦闘機、ヘリコプタ、ロケット、宇宙ステーション実験棟』
| ロケットのフェアリングと言えば川崎重工業社岐阜工場で製作されています。その横に航空自衛隊の「岐阜基地」があり、ここに『かがみはら航空宇宙博物館』が開館されています。 知人が何度も訪れ楽しい所だと推薦していました。 |
| 昭和50年代から平成6年までの間、鹿児島から種子島へ就航していたのが、当時“東亜国内航空“の”YS-11“でした。何度搭乗したか数えきれない程でした。 定員が60名程度で予約するのが大変でした。特に夏は帰省客や観光者で増便されても予約困難でした。 離陸時は最大出力時に受けるGが快感で、着陸時は翼が最大に広がり揚力を受けて着陸していたのをなんとなく覚えています。
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| 子供の頃は、“ゼロ戦”は最も早い戦闘機で人気がありプラモデルを買って組み立てていた。 ゼロ戦は、宮崎駿監督の“風立ちぬ”の主人公堀越二郎が設計した機体。
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| “ちばてつや”さんの少年漫画『紫電改のタカ』(1963~1965)を読んでいた。 今、“紫電改”の製造会社が川西航空機社で現新明和工業としりました。 ふと思い出したのが、高野山奥の院へ入った所に“新明和工業”の“慰霊碑“が建てられていたことを思い出した。 昨年、鹿児島の知覧特公平和会館へ行ってきました。ここに展示されている“飛燕”は、知覧から譲り受けた機体だそうです。
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| H-Ⅱロケット 1994年2月4日(平成6年) |
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スペースシャトル。チャレンジャー事故 1986年㋀28日(昭和61年) H-Ⅰロケット 試験機1号機を1986年㋇13日(昭和61年) |
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『天下分け目の関ケ原』
| 関ケ原と云えば、中山道、北国街道、伊勢街道が交差する交通の要衝地。 伊吹山と鈴鹿山地に挟まれた狭い盆地で、新幹線では積雪で徐行運転されるし、名神高速道路では除雪車を先頭に走行する豪雪地帯です。 天下分け目の戦いの「関ヶ原の戦い」が行われた。豊臣政権の継承か徳川政権の樹立かの一大決戦。 |
| 豊臣政権を支えるべき「五大老」が徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家で、「五奉行」は、石田三成、増田長盛、名束正家、浅野長政、前田玄以の5人です。 しかし徳川家康は、御法度を破り、豊臣家臣を仲間に取り入れて関ヶ原で戦に挑みます。 上杉討伐に兵を進めたが、 私は、アンチ家康です。 「関ケ原古戦場記念館」。2023年のNHK大河ドラマは『どうする家康』です。館内には「どうする家康」のキャストの等身大のパネルが並べられ観光客を歓迎しています。 関ケ原古戦場記念館の展望フロアに両軍の陣地が描かれています。 東に徳川家康軍(赤)、西に石田三成軍(青) |
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| 関ケ原古戦場記念館のカフェテラスの窓ガラスには石田三成の家紋『大一大万大吉』「だいいち-だいまん-だいきち」のシールが貼られている。 意味は「1人が万民のために、万民は1人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる」。 よく考えてみれば、関ケ原古戦場には城や城下町が無くただ野原に武将の本陣跡の旗を掲げてあるだけだな~と思った。 |
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| 国内最大の内乱とされる『壬申の乱(672)』の舞台にもなっています。 大海人皇子(のちの天武天皇)が勝利した |
『おちょぼさん』
| 長良川と揖斐川の間の田園地帯に巨大な鳥居が聳えています。 参道入り口には巨大な朱色の鳥居が立てられ、稲荷神社が感じられます。 |
| 稲荷神社では鳥居が奉納され連なっていると思っていましたが、ここでは「のぼり」が奉納され連なっています。鳥居も朱色ではなく海老茶色していてちょっと違和感を覚えます。 |
| 「先祖の御霊を千代に保て」という教えより、現在でも境内ではお札やお守り等は一切出していない。 地元では“おちょぼさん”で親しまれ賑わっています。 |
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| お供えのお揚は“油揚げを△に切って稲藁を通したもの”です。 お賽銭の代用とされています。(よく見ると30円で販売し奉納後リサイクルして再度販売しています。さすが商売の神様) |
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おちょぼ稲荷の山参道は“なまず料理”が有名ですが、“串カツ、ドテ串 玉家”がテレビでも紹介される名物店です。 |
『木曽川川島のハイウウェイSAにある水族館』
| 東海北陸自動車道の木曽川河岸の川島ハイウェイオアシスにあるオアシスパークの“世界淡水魚水族館”にやってきました。高速道路のパーキングエリアから直接行けます。平成10年頃だと思うが一度訪れていますがほとんど記憶がありません。 オアシスパークは1999年(平成11年)に開園された岐阜県最大級のレジャー複合施設です。 ゲートをくぐると美しい草花が咲き誇り、出店や館内レストランが営業されています。 園内は無料で入場できます。(水族館は有料) |
| 水辺の緑が生い茂り、BBQが楽しめるそうですが、今回は水族館が目的で直行しました。 |
| オアシスパークの目玉は“オアシスホイール”と呼ばれる大観覧車です。東海北陸自動車道を北上して走行していると、正面の木曽川の先に大観覧車が見えてきます。 | ![]() |
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| ここは“淡水魚”水族館です。野山で育った私にとって思いである淡水魚たちです。 ここは長良川水系に生息する淡水魚をコンセプトとして飼われています。 子供の頃は地元を流れていた小川、沢、池やびわ湖で見かけた魚たち。 モロコ、タナゴ、オイカワ、 ゲンゴロウ、タナゴを観ることがなくなり、泳いでる姿を観ると竹の釣竿を持って水辺を渡り歩いていたのが思い出されます。 |
| 防災池で見たアカハライモリ。気持ち悪く怖かった。 まだまだいます。サワガニ、と幼少の頃に見かけていた水辺の野山の風景が思い出されます。 |
| 渓流で見かけたイワナ。話に聞く日本最大になる幻の魚“イトウ”。 サンショウウオ メコン川 アマゾン川 水族館の中での撮影は素人には難しいです。 |
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いずれの水族館にも“ クラゲ”が飼育されています。海水の生物と思っていまたが淡水に生息するクラゲもいます。 無脊椎動物のその他に分類される水の中を浮遊している刺胞動物。 |
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『ミイラのお寺』
| 西国三十三所33番札所の谷汲山の華厳寺の帰りに寄りました。 山奥のひっそりしたお寺で、木立に覆われ光が差し込み川のせせらぎに癒され水仙が咲き極楽浄土ごとく雰囲気が漂っています。 |
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“ミイラ”が祀られていることです。
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| 参道の脇の川にはミニ水車と電灯が一体となっている装置が設置されています。おそらく水力発電をして電灯を灯すのでしょう。 一般的には、太陽光発電パネルを備えた電灯を見かけますが、ここは樹木で多い茂りお生い茂っていて太陽光が遮断されてますが山の斜面を急速に流れる水流があり、水流を生かした自己発電電灯です。 |