Snapshot

美濃report

岐阜城

『斎藤道三と織田信長の国盗り物語』

戦国時代、一介の油売りから身を起こし美濃国の国主になった斎藤道三と、隣国の尾張国に生まれ破天荒な政略・軍略で天下布武を押し進めた織田信長を扱った『国盗り物語』の舞台。

金華山(旧名:稲葉山)の山頂へロープウェイで登って行くと景色がどんどん広がります。山頂駅から尾根伝いに歩いて岐阜城を目指します。山頂に築かれている現岐阜城は再建天守閣で天守閣から長良川やその先の遠くの濃尾平野まで見渡せる展望で天下を見渡せる気分になります。
稲葉城。斎藤道三は長良川沿いの金華山の山頂近くに稲葉山城を築き美濃国の国王になった。
織田信長は斎藤龍興(道三の孫)との“稲葉山城との戦い”で勝利し“岐阜城”と名称変更し“天下布武”を宣言した場所です。
長良川の下流の墨俣までも見渡せたのでしょう。
地元の皆さんは、岐阜城に登ったではなく“金華山を登った。“と言われ、金華山は岐阜県民のシンボル的な山で100万ドルの夜景と言われドライブウェイはデートスポットになっています。

現在でも麓で発掘調査が行われています。織田信長の居城とか沢山の家臣の住居が建てられていたとされています。
ロープウェイ山頂駅から徒歩3分の処に豊臣秀吉が掲げている千成瓢箪の発祥地があります。

『豊臣秀吉の千成瓢箪』
1567年、木下藤吉郎(のちに豊臣秀吉)は蜂須賀小六や山麓の猟師堀尾茂助など僅か7名を従えて、岩戸口から稲葉山城のここまで潜入し、薪小屋に火を放って手柄をたたえたと伝えられている。この時、藤吉郎は城兵を倒した槍先に腰からぶら下げていた瓢箪を結び付け、槍を振り回しながら大声で勝鬨をあげたという。以来、千成瓢箪発祥の地とされる。(岐阜市)




墨俣一夜城

『木下藤吉郎が一夜で建てた城』

木下藤吉郎が一夜で建てたとされる城。

墨俣は織田信長が稲葉山城攻略の起点地。斎藤家の稲葉山城の横を流れる長良川の下流で天王川と合流地点、織田信長にとっては美濃攻略するには戦略上の要地です。斎藤家との度々合戦があった地でしたが、木下藤吉郎が、蜂須賀小六の力を得て、長良川の上流で木を伐採し筏を作り嵐の夜に筏を長良川に放ち墨俣で筏を回収して一夜で城を築いたとされています。信長はこの墨俣城を得たことで稲葉城が攻略できたとされている。
小栗旬の“信長協奏曲”第4話で「サルの一夜城大作戦」が放送されているので観賞してください。

当時は天守閣を持たない城ですが、写真は平成3年4月に墨俣一夜城(墨俣歴史資料館)です。
当然、豊臣秀吉を祭る“豊国神社”も鎮座されています。




岐阜かがみはら航空宇宙博物館

『旅客機、戦闘機、ヘリコプタ、ロケット、宇宙ステーション実験棟』

ロケットのフェアリングと言えば川崎重工業社岐阜工場で製作されています。その横に航空自衛隊の「岐阜基地」があり、ここに『かがみはら航空宇宙博物館』が開館されています。

知人が何度も訪れ楽しい所だと推薦していました。


昭和50年代から平成6年までの間、鹿児島から種子島へ就航していたのが、当時“東亜国内航空“の”YS-11“でした。何度搭乗したか数えきれない程でした。
定員が60名程度で予約するのが大変でした。特に夏は帰省客や観光者で増便されても予約困難でした。
離陸時は最大出力時に受けるGが快感で、着陸時は翼が最大に広がり揚力を受けて着陸していたのをなんとなく覚えています。
日本航空機製造
YS-11A-500R 中型輸送機、戦後日本で初めて開発・量産された旅客機
戦後日本で初めて開発・生産された旅客機。1959(昭和34)年に設立された日本航空機製造に航空機メーカ6社が三画して設計・製造した。試作機の初飛行は1962(昭和37)年に名古屋飛行場で行われた。1973(昭和48)年までに182機が製造され、海外にも輸出された。
展示期は、全日空とエアーニッポンで運行されていた機体で、主翼とエンジンナセル(エンジンを覆う部分)は各務原で生産されていた。1995(平成7)年11月末に退役し、同年12月5日岐阜飛行場へ最終飛行した。 ©看板より
子供の頃は、“ゼロ戦”は最も早い戦闘機で人気がありプラモデルを買って組み立てていた。
ゼロ戦は、宮崎駿監督の“風立ちぬ”の主人公堀越二郎が設計した機体。
海軍 十二試艦上戦闘機(「零戦」試作機)
(三菱A6M1) 空気抵抗と重量を極限まで抑えた設計思想 国内最多生産飛行機
 第二次世界大戦における日本海軍の主力戦闘機となった、通称「零戦(ゼロ戦)」の試作機。1939(昭和14)年の各務原での初飛行以来改良を重ね、1940(昭和15)年に零式艦上戦闘機として制式採用された。主任設計者・堀越二郎の、空気抵抗の少ないフォルムと軽量化をめざした設計が特徴で、海軍が要求する滞空時間、操縦性を実現し、当時の世界水準に達することが出来た。零戦(ゼロ戦)として量産され、1945(昭和20)年の敗戦までに1万機以上が生産され、日本の飛行機としては最多である。展示品は試作1号機の実物大模型で、さまざまな根拠資料に基づいて再現された。   ©看板より
“ちばてつや”さんの少年漫画『紫電改のタカ』(1963~1965)を読んでいた。
今、“紫電改”の製造会社が川西航空機社で現新明和工業としりました。
ふと思い出したのが、高野山奥の院へ入った所に“新明和工業”の“慰霊碑“が建てられていたことを思い出した。
昨年、鹿児島の知覧特公平和会館へ行ってきました。ここに展示されている“飛燕”は、知覧から譲り受けた機体だそうです。
陸軍 三式戦闘機二型「飛燕」(川崎キ61-Ⅱ改)
スピードと旋回性能の両立を目指した陸軍の戦闘機
1941(昭和16)年12月に各務原飛行場で初飛行し、1945(昭和20)年の終戦まで約3,000機が生産された。各務原で一番多く製造された飛行機。
主任設計者は、のちに国産旅客機YS-11にも携わることになる土井武夫。
当寺国内で主流であった空冷エンジンに比べ空気抵抗を小さくできる液冷エンジンを採用したスマートな胴体に、細長い主翼を組み合わせることで、速度と旋回性能の両方を狙った。展示品はエンジンをパワーアップした二型の増加試験機(機体番号6117)で、現存する唯一の二型である。 ©看板より
三菱 T-2高等練習機
日本が独自に開発した最初の超音速ジェット機

航空自衛隊の戦闘機パイロットを教育するために開発された、わが国初の超音速ジェット機。本機の開発は三菱重工業を中心に、富士重工業(現SUBARU)、川崎重工業、日本飛行機、新明和工業が協力し、日本の航空機産業の技術力を結集して行われた。試作機は1971(昭和46)年7月20日に名古屋飛行場で初飛行。1988(昭和63)年まで合計96機が生産された。後に、このT-2をもとにして支援戦闘機F-1が開発された。
展示の19-5173号機は航空自衛隊の曲技飛行チーム「ブルーインパルス」(2代目)に採用され、1995(平成7)年まで使用された。  ©看板より
H-Ⅱロケット フェアリング
打ち上げ時の空気抵抗による振動や高熱から績荷を守るカバー

ロケットの先端に搭載される人工衛星等の積み荷を、打ち上げ時の空気抵抗による振動や300℃以上にもなる熱から守るカバー。左右のフェアリングパネルは、約440本の「ノッチパネル」と呼ばれる特殊なボルトで固定されており、大気圏外に到達すると、ボルト内の爆薬で瞬間的にすべてのボルトが切断され、パネルが分離される。
展示物はH-Ⅱロケット用で、開発段階で分離(閉頭)試験に使用されたもの。各務原で製造された。   ©看板より
LE-7エンジン
H-Ⅱロケットを打ち上げた22,000馬力の国産エンジン

初の純国産ロケットH-Ⅱの第1段用に開発されたエンジン。大推力を必要とする第1段用液体燃料としては初めての国産エンジンである。
推進剤に液体水素と液体酸素を使用。燃焼方式には、少ない推進剤で効率よく推進力を発生させることが出来る「二段燃焼サイクル」を採用した。
この燃焼方式には技術的に難しい点が多く開発は難航したが、燃焼試験を重ねて一つ一つ課題を克服し、開発から8年後の1994(平成6)年2月4日、ついにH-Ⅱロケット試験機の打ち上げに成功した。
展示のエンジンは、地上での燃焼試験に使用されたものである。  ©看板より
H-Ⅱロケット
1994年2月4日(平成6年)

スペースシャトル。チャレンジャー事故
1986年㋀28日(昭和61年)

H-Ⅰロケット 試験機1号機を1986年㋇13日(昭和61年)



関ケ原 古戦場

『天下分け目の関ケ原』

関ケ原と云えば、中山道、北国街道、伊勢街道が交差する交通の要衝地。
伊吹山と鈴鹿山地に挟まれた狭い盆地で、新幹線では積雪で徐行運転されるし、名神高速道路では除雪車を先頭に走行する豪雪地帯です。

天下分け目の戦いの「関ヶ原の戦い」が行われた。豊臣政権の継承か徳川政権の樹立かの一大決戦。
豊臣政権を支えるべき「五大老」が徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家で、「五奉行」は、石田三成、増田長盛、名束正家、浅野長政、前田玄以の5人です。

しかし徳川家康は、御法度を破り、豊臣家臣を仲間に取り入れて関ヶ原で戦に挑みます。
上杉討伐に兵を進めたが、

私は、アンチ家康です。


「関ケ原古戦場記念館」。2023年のNHK大河ドラマは『どうする家康』です。館内には「どうする家康」のキャストの等身大のパネルが並べられ観光客を歓迎しています。


関ケ原古戦場記念館の展望フロアに両軍の陣地が描かれています。
東に徳川家康軍(赤)、西に石田三成軍(青)
関ケ原古戦場記念館のカフェテラスの窓ガラスには石田三成の家紋『大一大万大吉』「だいいち-だいまん-だいきち」のシールが貼られている。
意味は「1人が万民のために、万民は1人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる」。


よく考えてみれば、関ケ原古戦場には城や城下町が無くただ野原に武将の本陣跡の旗を掲げてあるだけだな~と思った。
国内最大の内乱とされる『壬申の乱(672)』の舞台にもなっています。
大海人皇子(のちの天武天皇)が勝利した




千代保稲荷

『おちょぼさん』

長良川と揖斐川の間の田園地帯に巨大な鳥居が聳えています。
参道入り口には巨大な朱色の鳥居が立てられ、稲荷神社が感じられます。
稲荷神社では鳥居が奉納され連なっていると思っていましたが、ここでは「のぼり」が奉納され連なっています。鳥居も朱色ではなく海老茶色していてちょっと違和感を覚えます。
「先祖の御霊を千代に保て」という教えより、現在でも境内ではお札やお守り等は一切出していない。
地元では“おちょぼさん”で親しまれ賑わっています。
お供えのお揚は“油揚げを△に切って稲藁を通したもの”です。
お賽銭の代用とされています。(よく見ると30円で販売し奉納後リサイクルして再度販売しています。さすが商売の神様)
おちょぼ稲荷の山参道は“なまず料理”が有名ですが、“串カツ、ドテ串 玉家”がテレビでも紹介される名物店です。




オアシスパーク淡水水族館

『木曽川川島のハイウウェイSAにある水族館』

東海北陸自動車道の木曽川河岸の川島ハイウェイオアシスにあるオアシスパークの“世界淡水魚水族館”にやってきました。高速道路のパーキングエリアから直接行けます。平成10年頃だと思うが一度訪れていますがほとんど記憶がありません。

オアシスパークは1999年(平成11年)に開園された岐阜県最大級のレジャー複合施設です。

ゲートをくぐると美しい草花が咲き誇り、出店や館内レストランが営業されています。
園内は無料で入場できます。(水族館は有料)
水辺の緑が生い茂り、BBQが楽しめるそうですが、今回は水族館が目的で直行しました。

オアシスパークの目玉は“オアシスホイール”と呼ばれる大観覧車です。東海北陸自動車道を北上して走行していると、正面の木曽川の先に大観覧車が見えてきます。
ここは“淡水魚”水族館です。野山で育った私にとって思いである淡水魚たちです。
ここは長良川水系に生息する淡水魚をコンセプトとして飼われています。

子供の頃は地元を流れていた小川、沢、池やびわ湖で見かけた魚たち。
モロコ、タナゴ、オイカワ、

ゲンゴロウ、タナゴを観ることがなくなり、泳いでる姿を観ると竹の釣竿を持って水辺を渡り歩いていたのが思い出されます。

防災池で見たアカハライモリ。気持ち悪く怖かった。

まだまだいます。サワガニ、と幼少の頃に見かけていた水辺の野山の風景が思い出されます。

渓流で見かけたイワナ。話に聞く日本最大になる幻の魚“イトウ”。
サンショウウオ
メコン川
アマゾン川
水族館の中での撮影は素人には難しいです。
いずれの水族館にも“
クラゲ”が飼育されています。海水の生物と思っていまたが淡水に生息するクラゲもいます。
無脊椎動物のその他に分類される水の中を浮遊している刺胞動物。




横蔵寺

『ミイラのお寺』

西国三十三所33番札所の谷汲山の華厳寺の帰りに寄りました。
山奥のひっそりしたお寺で、木立に覆われ光が差し込み川のせせらぎに癒され水仙が咲き極楽浄土ごとく雰囲気が漂っています。
“ミイラ”が祀られていることです。
両界山横蔵寺縁起
 横蔵寺は、伝教大師が自作の薬師如米を祠った寺であり、比叡山の薬師如来と同じ木から作ったと言います。横蔵の地は東山道、後の中仙道の赤坂の宿から七里(約30キロ)北に位置し、横蔵街道と言う巡礼道があり、一里毎に薬師を祠っていました。
濃尾平野の北、両白山地帯の南、修行には良い環境と言えましょう。
 平安、鎌倉時代には、この辺りの本山として、学問や文化の中心として栄えました。本堂の左奥の山の項上付近に、沢山の僧坊跡が在りますが、鎌倉時代の記録に拠れば、薬師堂、三重塔、楼門、政所をはじめ、38の僧坊があり、山内に百数十人の僧侶が住んでいたようです。本堂跡、仁王門跡は現在まで残っています。
 戦閥時代には次々と寺領を侵略され、元亀の法難には織田信長に全て取り上げられます。また比叡山再建のため、横蔵寺の薬師如来は比叡山へ移り、恨本中堂の本尊となります。横蔵寺も慶長年間に再建の運びとなり、現在に至ります。 ©パンフレットより
参道の脇の川にはミニ水車と電灯が一体となっている装置が設置されています。おそらく水力発電をして電灯を灯すのでしょう。
一般的には、太陽光発電パネルを備えた電灯を見かけますが、ここは樹木で多い茂りお生い茂っていて太陽光が遮断されてますが山の斜面を急速に流れる水流があり、水流を生かした自己発電電灯です。



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