Snapshot

石川report

金沢駅

『前田利家 加賀百万石』

前田利家加賀百万石の城下町。
金沢駅兼六園口(東口)に鼓太鼓をイメージされた『鼓門』が聳えています。

金沢、能登を支配していた前田利家の居城。戦国時代の武将で、織田信長、柴田勝家、羽柴秀吉に仕えた、徳川家康の法度破りを抑制していた武将です。

加賀友禅、金箔。加賀友禅、金箔と有名ですが、加賀は、金沢、能登を支配していた前田利家の居城。戦国時代の武将で、織田信長、柴田勝家、羽柴秀吉に仕えた、徳川家康の法度破りを抑制していた武将のです。


百万石とは、一石は150Kgのお米に換算され、150X10^6Kg=150,000tonで 100万人分の食料が生産できる土地と言うこと。
北陸新幹線が、金沢駅から敦賀駅まで2024年3月16日から延伸運行されます。サンダーバード号は、2024年3月15日をもって敦賀、金沢間の運行が終了します。
昭和39年から特急「雷鳥」が運行され1997年に「サンダーバード」に改名された。

昭和60年頃は、大阪発青森行の寝台特急“日本海”に乗るため、サンダーバードか名古屋発の「しらさぎ」に乗車して金沢駅で“日本海”に乗り込んだこともありました。
今日(2024.3.15)は“サンダーバード”および“しらさぎ”の敦賀~金沢間ラストラン日です。
金沢へ向かう“サンダーバード”の車窓から田園の畦道で、三脚を広げた撮り鉄が至る所でスタンバイしているし通過駅のホームにも多くの多くの人たちがスマホカメラをもって撮影しています。
夕方の金沢駅の“みどりの発券機”には、特急券を求める人なのか長蛇の列で混雑しています。
でも、9年前に乗車した“サンダーバード”の車体が変わっていました。



金沢城公園

『日本三大庭園』

前田利家が賤ヶ岳の戦い(1583)の後に入城して1592年から大規模改築した金沢城。金沢城公園は28.5haと広く、1881年(明治14年)天守、本丸、二の丸、三の丸が焼失して非常に残念に思う。

1996年に石川県が金沢城址を取得し、2001年に菱櫓(ひしやぐら)、五十間長屋(ごじっけんながや)、橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)が復元された。復元には古絵図や古文書などをもとに当時の姿を忠実に再現された建物は必見です。
でも、侮ってはいけません、観光する所は沢山あり1時間や2時間では見て回ることができません。兼六園を含め十分に時間を取って訪れられることをお勧めします。

2024年(令和6年)正月に発生した『能登半島地震』の被害が幾つか残されています。

冬の金沢城。白く薄化粧した”石川門”
前田利家は豊臣政権の五大老の一人として、豊臣秀頼の後見人でしたが、秀吉没(1598.9.18)後の8ヶ月後に病没されました。
前田利家よ!。もっと長生きして豊臣政権を堅持していたら徳川家康の法度破りを抑制していたら関ヶ原の戦いは起こらなかったし豊臣家は滅亡しなかったのでは。

金沢城は火災以降しだいに本丸機能を二の丸へ移管されています。“二の丸”跡前に聳えている“五十間長屋”は橋爪門から菱櫓まで100mあります。ということは五十間以上の長さの防御用長屋ですね。
“五十間長屋”の一番高い“菱櫓”を眺める。

”二の丸広場“は発掘中なのか塀で囲まれていました。
“五十軒長屋”の内部は広く窓から“三の丸広場”を眼下に白山北部の山々を望むことができます。

平成14年(2002)大河ドラマ第41作は『利家とまつ』です。唐沢寿明、松嶋菜々子の主演により製作され、激動の戦国時代を生き抜き、織田信長、豊臣秀吉、二人の天下人から男の中の男と賞され、加賀百万石の礎を築いた藩祖・前田利家。その利家を支え続けた妻・まつ。夫婦の愛の物語と戦国武将のサクセスストーリーです。疾風怒濤の時代を生きた人々を壮大なスケールで描かれているので、再放送かレンタルする機会があれば観賞してみてください。
“鼠多門(ねずみたもん)”。令和2年に復元された。

玉泉院丸庭園から尾山神社へ抜ける復元された“鼠多門”。
“橋爪門”

“五十軒長屋”石垣からの
前田利家は、名古屋中川区荒子出身で幼名は犬千代。
加賀百万石は第一位で二位は薩摩藩の73万石です。




金沢公園周辺観光は、兼六公園、尾山神社、21世紀美術館を含め、事前に観光ルートを検討していた方が良いです。無計画で観光すると、同じ道を歩いたり遠回りして訪れたりと効率が悪く無駄に時間と動力を費やしたと思います。





兼六園

『日本三大庭園』

日本三名園の一つの『兼六園』。
『兼六園』を囲む「百万石」通りのバス停を降り兼六園側に渡ろうとして押しボタン式横断歩道の“ボタン”を押しましたが5分近く信号が変わりませんでした。何とかして欲しいものです。

兼六園には正確には3回訪れていますが、50年前にの学生寮から1度訪れているが私が参加した覚えが無く曖昧です。兼六園には正確には3回訪れていますが、50年前に学生寮から1度訪れているが私が参加した覚えが無く曖昧です。

兼六園は、11.4ha金沢市の中心部に位置し、11.4haの広い敷地に四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれています。
兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。

兼六園のシンボルの”徽軫灯籠(ことじとうろう)”。足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱にていることからその名が付いたと言われています。
この『徽軫灯籠』を撮影しようと“虹橋”にカメラマンが集まっています。兼六園の定番のアングルが虹橋から「微軫灯篭」と「霞ケ池」となっています。

兼六園は、「廻遊式」の要素を取り入れながら、様々な時代の庭園手法をも駆使して総合的につくられた庭で日本一の庭園と思いす。

兼六園の四季は、雪化粧の冬、梅林の梅が咲く春先、緑豊かな初夏、紅葉彩る秋など、いつ訪れても美しいでしょう。
兼六園は、「廻遊式」の要素を取り入れながら、様々な時代の庭園手法をも駆使して総合的につくられた庭です。

廻遊式は、土地の広さを最大に活かして、庭のなかに大きな池を穿ち、築山(つきやま)を築き、御亭(おちん)や茶屋を点在させ、それらに立ち寄りながら全体を遊覧できる庭園です。いくつもの池と、それを結ぶ曲水があり、掘りあげた土で山を築き、多彩な樹木を植栽しているので、「築山・林泉・廻遊式庭園」とも言われています。

『唐崎松』です。
13代藩主、前田斉泰が琵琶湖畔の唐崎から種子を取りよせて育てた『黒松』
11月1日から「雪吊」が施されます。雪で松の木が折れないように藁のひもで松の枝をつるす。この「雪吊」が兼六園の特徴です。
その他には、園内を流れる“曲水“と“飛行橋”、“雪見橋”、”千歳橋“などが掛けられています。

日本三名園は岡山の後楽園、水戸の偕楽園です。
岡山の後楽園は広い敷地に大きい池の周辺に芝生が敷き詰められています。丹頂鶴の飼育
偕楽園は梅です。広い梅林が特徴です。

三名園はそれぞれ特徴があり、
後楽園は広い敷地に大きい池の周辺に芝生が敷き詰められ公園的な庭園でした。
偕楽園は”梅”です。広い梅林が特徴で紅白の花に彩られ梅の香りが漂う空間でした。
兼六園は、日本庭園(池泉回遊式庭園で、石灯篭が置かれ、松を主体に梅や桜の花が植えられています。)の特徴を集められた庭園を思わせます。
“霞ヶ池”に競り出している“内橋亭”があり池の上に立つお食事処です。お部屋から眺める風景も楽しいでしょう。
「清水亭出世茶店」があります。販売されていたソフトクリームが400円で、金箔を載せたら1,000円だそうです。よって金箔一枚600円とすると、金1g=10,000円から、金箔一枚60mg程度になります。
梅林は、昭和43年に、北野天満宮、太宰府天満宮、水戸の偕楽園から名木を集められた梅林です。
また、桜ケ岡もあり桜のお花見もできます。
兼六園の四季は、雪化粧の冬、梅林の梅が咲く春先、緑豊かな初夏、紅葉彩る秋など、いつ訪れても美しいでしょう。
    梅林
この梅林は明治百年記念事業として全国石川県人会連合会、兼六園茶店組合、太宰府等各天満宮、河北郡七塚町(現かほく市)等の協力により、全国から名梅を集められて作られた。
面積3000平方メートルに20種200本の梅が植えられている。
平成12年、時雨亭の庭園として再整備された。   ©看板より
『時雨亭』のお庭です。時雨亭と云えば藤原定家の「時雨亭」を想像しますが、ここの時雨亭は加賀藩5代藩主前田綱紀公が造営された現在の建物は平成12年に再建されたものです。
『時雨亭』(茶席)は、加賀藩五代藩主前田綱紀が(1676)に連池御亭を建て、のちに時雨亭を呼ばれていた。現在の時雨亭は再現した建物です。

兼六園を速足で見て回りましたが、パンフレットを見ると見所満載だったので後悔しています、パンフレット記載の一つ一つを観賞するには時間を要します。金沢城公園を含め一日かけてゆっくり観賞しましょう。
ツアーなどで時間制限を設けられたら堪能できません。
【玉泉院丸庭園】
金沢城の二の丸広場と尾山神社との間に設けられた庭園です。
加賀藩三代藩主「前田利常」が1634年に作庭をはじめたとされています。

池と石垣によって独創的な景観を創り出した「玉泉院丸庭園」ではゆったりと庭園散策が楽しめます。「玉泉庵」では抹茶と季節ごとの生菓子を味わってみてください。

3月はまだ新緑の芽が芽です出す寂しい風景をしていますが、池と島へ渡る橋が掛けられ緑茂季節は美しい光景でしょう。

池を一周する回遊路がありますが、今日は通行止めで、『玉泉庵』の席に座り庭から庭を眺めると素晴らしい眺めでしょう。




尾山神社

『前田利家、まつ』

初代加賀藩主前田利家公と正室おまつの方を御祭神とする神社で1873年の歴代藩主の別邸であった跡地に建立された。
名古屋市中川区の荒子出身で秀吉とは幼き頃からの友人だったとされているのかな。
【尾山神社】
初代加賀藩主前田利家公と正室お松の方を御祭神とする当神社は、明治6年(1873)に金沢城の歴代藩主の別邸であった「金谷御殿」跡に建立されました。
【尾山神社】
初代加賀藩主前田利家公と正室お松の方を御祭神とする当神社は、明治6年(1873)に歴代藩主の別邸であった金谷御殿跡に建立された。
ギャマンがはめ込まれたり、和・漢・洋折裏様式を見せる神門は、異国情緒漂う造り。東神門は金沢城で唯一残る桃山風御殿様式の門で、旧金沢城二の丸にあった唐門を移移築したものである。

旧金谷御殿の庭であり、築山池泉回遊式庭園は、江戸末期に作庭されたもので、かつて辰巳用水を引き入れた池には、三つの島と趣向を凝らした橋が配され、書院庭園の趣を色濃く残している。 ©看板より
旧金谷御殿の庭であり、築山池泉回遊式庭園は、江戸末期に作庭されたもので、かつて辰巳用水を引き入れた池には、三つの島と趣向を凝らした橋が配され、書院庭園の趣を色濃く残している。
前田利家公の騎馬上の像銅です。背中に丸い大きな袋を背負っています。元服して又左衛門利家となって織田信長のもとで戦功を重ね、「槍の又左」の異名をとり、「赤母衣衆」に抜擢された。織田信長公に仕え「赤母衣衆」として活躍していた雄姿です。
「母衣「ほろ」について
流れ矢を防ぐために、鎧(よろい)の背にかけた布のことを言います。その後時代の推移により、風にふくらんだ形を示すために、竹串、クジラの骨類、ひげ等を骨組みに入れるようになり、これを母衣と呼びました。
戦国時代に騎馬武者は、これを背に戦場を駆け巡り、連絡の役をつとめました。このような騎馬武者を母衣衆と呼びました。
織田軍団の母衣衆は、佐々成正を筆頭とした十人の黒母衣衆と、前田利家を筆頭に九人の赤母衣衆とで合計十九人でした。そして、戦闘になれば、諸隊のガイド的役割もあり、敵にとって目につきやすく、大変危険でもありました。   ©看板より
神苑は、地泉廻遊式の名園で古代舞楽の楽器を模しているとされています。
薄雪景色の神秘的な庭になっています。池の木橋に観光客が立たれ記念写真を撮られています。
アーチ状の石橋。楽器に見立てると”琴”に見えます。





ひがし茶屋

『フォトジェニックな風景が撮影できる場所』

金沢城の東にある茶屋街。観光雑誌で「ひがし茶屋街」が紹介されています。
金沢文化を代表する東茶屋街。(西茶屋街もあります)。和の趣を感じるフォトジェニックな写真を撮影するには最適なスポットです。
観光者の目当てが同じか写真撮影される人でいっぱいで、無人のシーンを撮影するのは困難です。

京都でいう“祇園”かな。古い町並みで木の壁で覆われた住まいの街。
東山ひがし 伝統的建造物保存地区
 ひがしの興りと歩み
 江戸時代、このあたりは金沢城下から越中を結ぶ北国街道の下口として人や物資が行き交うと共に、寺社で行われる行事や茶屋で楽しむ人々で大いににぎわっていました。
 加賀藩はこのような世俗を取り締まり武家社会の治安を保つため、文政3年(1820)に「ひがし」の地域に限り、茶屋町の開設を公許し、卯辰茶屋町や浅野川茶屋と呼ばれてました。
 その後、茶屋町は天保2年(1831)に一旦廃止になったものの、慶応3年(1867)には再び公許され、明治以降は「東新地」・「ひがし」と呼ばれ、市内随一の格式とにぎわいを誇る茶屋町として、今日に至るまで金沢の茶屋文化を受け継いできています。   ©看板より
金沢文化を代表する茶屋街のひとつ。和の趣を感じるフォトジェニックな写真を撮影するには最適なスポットです。着物をレンタルした女性観光客が伝統的な町並みをバックに撮影している姿が多く見られます。また、格式ある割烹や、お洒落な町家カフェ、伝統工芸品を扱うセレクトショップなどが立ち並び、金沢らしいグルメやショッピングが楽しめます。作家・五木寛之作品『朱鷺の墓』の舞台としても有名。外国人観光客も多く、情緒溢れる古い町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
着物をレンタルした女性観光客が伝統的な町並みをバックに撮影している姿が多く見られます。また、
格式ある割烹やお洒落な町家カフェ、伝統工芸品を扱うセレクトショップなどが立ち並びグルメやショッピングが楽しめそうですが、朝早く到着したのでお店が開店しているお店が少なく静寂さがたたずんでいました。



長町武家屋敷跡界隈

『藩をささえた武家の住居町』

金沢香林坊のバス停から多目的用水の「大野庄用水」を挟んで武家屋敷が建ち並んでいます。

藩政時代に武士が暮らしていた屋敷跡を散策すると

長町武家屋敷跡界隈
昔ながらの土塀や石畳の小路が残り、豪壮な武家屋敷が立ち並ぶ長町武家屋敷跡。伝統環境保存区域および景観地区に指定されていて、今でも趣のある景観が維持されているエリアです。冬になると町並みの土塀を雪や凍結から守るために「こも掛け」が行われ、金沢の冬の風物詩を見るために観光客が訪れます。この界隈から繁華街の香林坊に抜ける鞍月用水沿いには割烹、郷土料理店、カフェなどが立ち並び、たくさんの人で賑わっています。
金沢足軽資料館
藩を支えた足軽の生活を体感!
藩政時代の貴重な足軽屋敷2棟を移築再現した建物。建物の中は、足軽の職務や日常生活の解説・展示がなされており、屋根は昔ながらの石を置いたもので、当時の雰囲気を醸し出しています。




金沢21世紀美術館

『21世紀の美術品』

兼六園の“真弓坂“入口の向い側に「金沢21世紀美術館」が建てられています。
広い敷地に円柱形の白い建物で地下一階、地上2階の建物です。

2004年に開館されましたが、なぜ“21世紀”と命名されたのでしょうか?。金沢公園の東方向に“石川県立美術館”があり美術品や文化遺産が展示されています。
に、
21世紀に発達した美術品

美術館の敷地周りには、虹色カラーアクリルで渦巻き状に仕切られた作られたアートオブジェ。


地中に埋められた対のラッパの先。

1階と地下1階に沢山の区画があります。
2024年の正月に発生した能登地震により、施設設備に被害があり、閉鎖されていました。
一番の目玉の“スイミング・プール”は休館で残念でした。

市民ギャラリー区画では新鋭芸術家方が、作品を展示されていました。
金沢の伝統工芸品の陶芸、漆芸、染、金工、ガラスの五つの工房で創作された美術品が、製作者同席で展示されています。


水墨画、水彩画

黒部渓谷の自然の写真
1階と地下1階を行き来するエレベータは、エレベータ室を昇降される装置です。

恐らく油圧システムでエレベータ室を昇降させる方式で、スリガラスのエレベータ室の上には何も装置がないので異様に感じました。