『徳川家康出世城』
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| 遠州、またの名を遠江の国。浜名湖の東で駿府との間にあります。“浜松城公園”として開放されています。広い城郭跡の高い石垣の上に天守閣が復元されていて、市民の憩いの場所になっていました。 |
| 徳川家康は、駿府に攻め込んできた武田信玄の侵攻に備え、遠州一帯を見渡せる三方ヶ原の丘に着目しました。 天下を盗るためには、まず信玄を倒さなければならないと判断した家康は、元亀元年(1570)、岡崎城を長男の信康に譲り、三方原台地の東南端に浜松城を築城し駿遠経営の拠点としました。 浜松城は明治維新後に城郭は壊され荒廃していましたが、昭和33年、野面積みの石垣の旧天守台の上に新天守閣が再建されました。 石垣を見ると石垣の大きさに比べ天守が小さく、石垣の平らな部分が見えます。 浜松城ボランティアガイドさんによると、実物の3分の2のスケールで再建されているそうです。 |
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2023年大河ドラマ『どうする家康』で見た家康の甲冑と同じデザインの甲冑。 ボランティアガイドさんから“浜松城は家康の出世城です。”と説明を受けると “私は関西出身です”と答えると “秀吉さんですね”と言われました。 ということで私は秀吉びいきです。 |
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| 平成26年に復元された“浜松城天守門“。 広い浜松城公園の天守閣に向かって坂道を登って行くと天守閣への入口に立っています。門の上に櫓が建てられていて櫓から敵の侵入を防ぐ役割をしているのでしょう。 石垣塀の上に、『白龍神伏見太郎稲荷神社』が鎮座されていました。 |
| 浜松城公園の若き日の“徳川家康”像。 浜松城では“徳川家康の出世城”と銘打ってPRされています。 徳川家康29歳から45歳まで居城していて、その間の戦は、 元亀元年(1570年/29歳)姉川の合戦 元亀三年(1572年/31歳)三方ヶ原の合戦 天正三年(1575年/34歳)高天神城の攻略 (長篠の戦い) 天正十二年(1584年/43歳)小牧・長久手の戦い ですが、どの戦が家康を出世に導いた戦だったのか疑問です。 1585年駿河の国を一つにした家康は居城を駿府に移した。その後、1590年に豊臣秀吉北条氏が支配していた関東六カ国への国替えを命じられ移転した。 元亀三年(1572年/31歳) 三方ヶ原の合戦。武田信玄が上洛する為に山梨から浜松の北を通過した時、武田信玄の背後を責めるために出陣したが武田信玄の騎馬隊があまりにも強く家康は脱糞しながら浜松城へ戻ってきたとの逸話があります。 |
| 観光の目玉としては、浜松を拠点に活躍した徳川家康と井伊直虎が出迎えてくれます。 徳川家康は、居城を岡崎城から浜松城を築城し駿府城へ移るまでの16年間住んでいた。 井伊直虎は、浜松城から北へ10Kmの所に井伊谷城のおんな城主で”井伊直政“の養母で、のちの徳川四天王の井伊家です。直虎のキャラクター絵は、2017年NHK大河ドラマ“おんな城主 直虎”が放送されその主演だった“柴咲コウ”の風貌に似ているかな。 |
『日本を代表する映画作家』
| 木下惠介さんは日本を代表する映画監督で、浜松出身で“木下惠介記念館”がありました。 木下惠介さんの名前を知ったのは、昭和40年代に30分のテレビドラマが数々放送された“木下惠介アワー”を見てからです。 『おやじ太鼓』、『二人の世界』、『三人家族』、『太陽の涙』などを録画装置がなかったので必ずテレビの前でリアルタイム映像を見ていました。 ドラマは何処にでもあるお話を取り上げて、面白おかしく描かれています。30分の時間の中ではお話がゆっくり進みますがワクワクしながら楽しく見ていました。 記憶のすみにメロディがある。ズーッと気になっていたら、BS松竹で”木下惠介アワー”が再放送されていて、50年ぶりに鑑賞しました。 |
| 『三人家族』 あの時は何気なく 会った あの人が なぜか心に残る 淡い恋心 この広い 空の下 僕のさがす 幸せは あなただけ あなただけ” 竹脇無我と栗原小巻のラブストーリィで、偶然に街頭や喫茶店で見かけた二人が突然満員電車に乗り合わせ結ばれるまでのお話しです。 『二人の世界』 つめたい風の街で ぼくは君と会った 生きていることを 空の広さを ぼくは君と共に知った 二人の世界があるから だから明日にかけるんだ 竹脇無我と栗原小巻主演で、知り合って数週間で結婚した二人が喫茶店を開業し周囲の助けを得て暮らして行くお話です。 |
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| 『太陽の涙』 人波まみれ 歩いてみても 僕は感じる 甘い知らせ 振りむけばただ ざわめきばかり 見たよな気がした 白い手を まだ見ぬ人 あ~愛は あなたを今日も呼んでいる めぐり合えば あ~ 二人 頬の涙も 暖かい 加藤剛と山本陽子 入院患者の息子と思い慕い憧れていて病院ではすれ違いばかりで、突然新幹線ホームのエスカレーターで会う二人のお話し。 その他にも倍賞千恵子、尾崎奈々、森田健作を主演としたドラマが放送され木下恵介アワーで製作されたドラマが私のドラマに対する評価の基準になっています。 |
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| 木下惠介さんは1912年(大正元年)生まれで1943年(昭和18年)、『花咲く港』で監督デビューされた。 微かな記憶ですが昭和29年 壺井栄さん原作、高峰秀子さん主演の『二十四の瞳』をテレビで見た記憶があります。 日本初カラー映画”カルメン古郷に帰る”が製作されていますが、木下恵介映画作品を観る機会がほとんどありませんでした。 私は昭和40年代から趣味で映画鑑賞するようになり、名画座のリバイバル上映で積極的に見に行ったのは黒澤明作品(七人の侍、用心棒、赤ひげ、隠し砦の三悪党、天国と地獄、影武者)で、木下恵介作品は鑑賞することがありませんでした。 |
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