へのリンク

 Snapshot

衣 笠report


金閣寺

『足利3代将軍義満の鹿苑寺』

金閣寺。足利義満3代将軍が建立した「北山山荘」が始まり。
総門を通り「方丈」前の受付を済ませ塀伝いに進み、参拝門を潜り右手に回れば「鏡湖池」の前にでます。
「鏡湖池」を見ながら奥に目を向けるとその先に黄金に輝く舎利殿(金閣寺)が現れます。湖面に舎利殿が投射され美しい姿を望む事ができ背筋がゾクゾクして感動を覚えます。
ただ2020年の金箔張替え直後は舎利殿が輝きすぎて全体風景からは浮いているように見えるので実写でないと感じてしまいました。

舎利殿は1950年7月2日の未明、金閣寺(鹿苑寺)から出火の第一報があり消防隊が駆けつけたが、その時には既に舎利殿から猛烈な炎が噴出して手のつけようがなかったそうです。
この事件は、三島由紀夫の「金閣寺炎上」の題材にもなっています。その後、1955に再建されれます。
「銀河泉」金閣の後を進むと銀河泉(ギンガセン)があり、義満がお茶の水に使ったと伝えられていて、今も清冽な清水が湧き出しています。 「巌下水(ガンカスイ)」は、義満公が手洗いに用いたといわれています。
「銀河泉」金閣の後を進むと銀河泉(ギンガセン)があり、義満がお茶の水に使ったと伝えられており、今も清冽な清水が湧き出しています。 安民沢の中の小島に立つ多層石塔。(小さく映ってます)
白蛇は弁才天の使なり。弁才天は智慧弁舌芸能福徳を与えてくれる神様で、家運を盛んにしてくれるといいます。
ここは繁栄を極めた西園寺家の旧跡です。
 鹿苑禅寺  ©看板より
金閣寺の参道に植えられた『陸舟の松』。

月9ドラマ「ラジエーションハウス」で医療診断のヒントとなった松。
舎利殿の観覧参道の裏にあり参観される方が少ない松とされ、病気の主原因に目を向け隠れた別の病巣を見逃してしまう話です。

足利義満の盆栽を地面に植え替えて舟形にされた松で樹齢600年以上の松。
京都三大松の1つで手入れが行き届いています。

龍安寺

『室町時代 細川勝元が建立』

大徳寺の別荘を細川勝元が譲り受け寺院として創建。
細川勝元は京都を焼き尽くした応仁の乱(1467~1477)の東陣の大将で、尼将軍日野富子と共に戦った方です。

きぬかけの道に間口4m程度の参道ががあります。嵐電の”龍安寺駅”への案内看板があるだけで、龍安寺の参道と言う標識はありません。
この参道を進んだ先に龍安寺の”山門”があります。
石段の正面の建物が「庫裡」で、禅宗寺院建築の簡素にして重厚、特に木組と白壁の調和がまた静寂の内に構成美をかもしだしている。
「方丈(本殿)」の北東に据てある銭形のつくばいがあります。
4つの文字が刻まれていて、中心の水が溜められている”口”を共用すれば”吾” ”唯” ”足” ”知”(ワレタダタルヲシル”となり禅の格言を謎解きに図案化された無言の悟道とされている。
水戸光圀の寄進と言われてます。
枯山水の石庭(方丈庭園)で有名な竜安寺。
石庭は、東西25メートル、南北10メートルの空間に白砂が敷き詰められ、15個の石が配置されたもの。見る人に自由な解釈に委ねられている。
細川護熙氏作
「龍の玉龍」 で荒れ狂う雲烟の中で、知恵の真珠を掴み、満足感に満ちた表情の龍が描かれてます。他の作品も奉納され順次特別公開されるそうです。

細川護熙さんは熊本肥後の国の17代目の城主のお殿様。”細川家系の子孫”繋がりで寄贈されたのかなと思います。
また、細川護熙さんは”仁健寺”へにも襖絵を寄進されています。
鏡容池:かつてオシドリの群れ遊んでいたことからオシドリ池と呼ばれ、竜安寺全景の山々が古来の姿をそのまま眺望される。
5月の新緑の季節、「山門」は青もみじに囲まれすがすがしさが感じられます。




仁和寺

『御室御所の仁和寺』

第59代宇多天皇によって仁和4年(888)年によって創建され、宇多法皇が住まわれ明治まで皇族が住職を務められたことで御室と呼ばれてます。

きぬかけの路からのぞむ、重厚な五間三戸二重門の「仁王門」には左右に金剛力士像が立ち、知恩院の三門、南禅寺の三門とともに選ばれた「京都三大門」の1つです。

仁王門を潜れば広い馬場に出て、左手に『本坊表門』があります。
「本坊」には、儀式などに使われる「宸殿」や茶室の「飛濤亭」を含む7つの建造物と、北庭及び南庭によって構成されています。
御殿内にある仁和寺の庭園は、趣深い景観であることが評価され2021年3月26日に国名勝庭園に指定。これを記念して、2021年6月19日より特別拝観が実施されました。
「白書院」から庭と先の五重塔を見ていると、日本庭園の良さが実感できます。
左の霊殿では将棋の第33期 第3局『竜王戦』が行われ、豊島vs羽生で豊島竜王が勝利しました。
「金堂」 紫宸殿として使われていた頃に「 高御座」が置かれていた場所に、現在は本尊が安置されている。 現在は霊宝館に安置されている国宝『阿弥陀如来・両脇侍像』は、創建当時からの金堂の本尊であった。
「御影堂」
応仁の乱では、仁和寺に陣を構えていた西軍に対し、東軍が攻撃を加え、すべて焼け野原になった後、寛永11年(1634年)から、徳川家光の寄進により再建された。
御室と言われるだけに広大な敷地に広々と伽藍が建立されてます。

徳川家光の寄進によって建てられたとされる「五重塔」。
総高約36mで、重要文化財に指定されています。東寺の五重塔と同様に、各層の大きさがほぼ同じである江戸時代の五重塔の特徴を色濃く表現。

仁和寺の境内で特に高い建造物であるため、春の桜、つつじや秋の紅葉との共演を楽しめます
毎年春になると、仁和寺の境内で競って咲き誇る桜。中でも中門内の西側で咲くのが「御室桜」です。
庶民の桜として親しまれた御室桜は、遅咲きの桜として有名です。
御室桜の丘台から五重塔が桜が雲のように見え浮かんでます。

御室八十八箇所

『四国八十八箇所巡礼の旅』


御室八十八ヶ所霊場(八十八ヶ所ウォーク)。成就山にお堂が点在し、ご本尊と弘法大師が祀られています。
さあ、一番札所から順にお参りしましょう。
祠を覗き込むと本尊と弘法大師の2体が祀られています。約3Kmの道のりは決して楽ではありませんが、自然があふれ、小鳥のさえずりや、草花が楽しめ、展望地では京都が見下ろせます。地元の子はハイキングとして回っています。




等持院

『足利将軍の歴代の墓所』

足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山に迎え創建された禅寺。

足利尊氏の墓所であり、「霊光殿」には歴代足利将軍(5,14代を除く)の木像と徳川家康の像が収められています。
現在の方丈(本堂)は、福島正則が妙心寺に建立した物を移設された古建築で、広縁を歩くと、鴬張りの音が聞こえます。
また、襖絵は狩野興以の作とされてます。
池泉回遊式庭園の芙蓉池(西庭)と心字池(東庭)があります。でも池の周りを回遊することができないで、縁側からみて楽しみます。
日本映画の父「牧野省三」が1921年に等持院塔頭跡地に牧野教育映画製作所と映画撮影所を設けられ1933年まで存続した。等持院撮影所を記念造像があります。
マキノ省三さんの家系には、息子のマキノ雅弘、孫に長門裕之、津川雅彦。親戚に黒澤明監督など多彩な著名人が名を連ねられています。

京福電鉄(通称嵐電)の日本一長い駅名とされる「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」が最寄り駅となる。