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第1〜5番札所report


第一番札所 那智山 青岸渡寺

『補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬』

熊野信仰。古来より信仰されてきた紀伊勝浦の那智の大滝。那智の大滝は、水柱は落差133m、銚子口の幅13m、滝壺の深さは10mの名瀑で、落差は日本一です。


1700年前の古墳時代の仁徳天皇(神功皇后の孫)の頃に修行僧が滝の中に観音様の姿を感じ取りお祀りしたことが始まりでこれ以来この地を熊野信仰と神仏習合多くの人々が参詣する観音霊場となりました。

約1,000年前に第65代花山天皇が那智の滝の山で千日間修行され満願御礼場として那智の観音さんを一番として近畿一円の観音さんをお参りされたのが西国三十三所の霊場巡りの始まりだそうです。

那智山青岸渡寺は、熊野那智大社と隣接して建っていて那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場でしたが、1868年の神仏分離令で青岸渡寺と那智大社に分離しました。
青岸渡寺本堂には本尊は【如意輪観世音菩薩】で秘仏のため御前立が祀られています。人々の苦しみを取り除き、智恵や財産を与えて下さる有難い観音様です。

那智の滝は紀伊半島のほぼ先端にありJR、自動車でも交通の便はあまり良いとは言えません。年齢的に今しか行けないと2018年7月と2024年6月にハンドルを握って出かけました。

2018年に参拝の為に訪れた時は豊臣秀吉が寄進された本堂は平成29年(2017)10月の台風による被害を受け修理中で全景を拝見できませんがリベンジで2024年に再度参拝し全景写真を撮影しました。
本堂後ろの『水子堂』の本尊には「如意輪観音菩薩」が安置されており、水子になられた霊を慰めるために建立されています。

本堂左の石段を登ると熊野三山の一つの『熊野那智大社』が鎮座しています。
紀伊勝浦から青岸渡寺へ向かう和歌山県道46号(那智山勝浦線)の途中に熊野古道の大門坂があります。大門坂から青岸渡寺までの参道は熊野古道の6コースのうちの1つのコースで熊野古道の観光ポスターによく使われている石道の写真を撮影したくて、熊野古道を歩いて参拝しました。
熊野古道を歩き続けると石段前に出ます。最終の石段を登った所に青岸渡寺の『山門(仁王門)』の前に出ます。
この山門が、聖と俗を隔てる結界の門になり、ここから先は祈りの地になります。麓の熊野古道の”大門坂”から30分ほど歩きます。
本堂の後方には朱色の三重の塔があり、恒例ポスターでは三重塔の横に那智の滝が並んで映っているので那智の滝と三重塔は近いと思っていましたが実物を見ると離れているな思いました。

青岸渡寺境内の那智の滝展望地あたりを歩いていると、「シャッターを押しましょうか」と近寄ってきて、撮影ポイント台に立ちシャッターを押してもらうと「こちらのカメラで撮影しますので気に入られましたら御購入頂けます。」と言われたが\1,200と高額だったので「要りません」と断った。
この手の営業に何度か出くわしたがもっとリーズナブルな料金だったら購入したのにな・・・・。



第二番札所 紀三井山 金剛宝寺 (紀三井寺)

『故郷を はるばるここに 紀三井寺 花の都も 近くならん』
紀州和歌山城から国道42号線を南に向かって走ると山肌に紀三井寺の朱色した大きな仏殿が見えて印象的です。

紀三井寺の参道の遠くからでも目を見張る朱色の『楼門』が見えます。石段を登り楼門前に到着すると左脇に令和から閻魔大王像が睨みを利かして鎮座されてます。
怖い閻魔大王の前に地獄に引き込まれないように注意して楼門を潜ります。
楼門をくぐると参拝者泣かせの231段の石段を目の当たりにすることになります。石段を見上げると遥か彼方に頂上が見えますが、縁結びの石段や男女厄年毎に区切りが設けられていて一息付けて登ると境内につきます。

登りきると境内の広い場所に出ます。
奈良時代の770年に創建です。710年に平城京遷都された奈良時代で752年に奈良の大仏が開眼法会を行われた時代です。この頃は寺院建立のラッシュです。

境内には本堂を始め多くの伽藍が建てられていて左側に本堂が建立され縁結びと商売繁盛祈願を行い。

本尊『十一面観世音菩薩』ですが御前立(レプリカ)が祀られています。

本堂の前は桜の木々が植えられ和歌山県の標本桜に指定されています。この桜が5輪咲くと開花となり桜会が催されます。
  「見上げれば桜しまふて紀三井寺」(芭蕉)
今回は2月に訪れたため桜はまだでした。
紀三井寺の寺名の由来となった三井水が湧き出ています。
 清浄水:美女が身を投じて龍に化身した水
 楊柳水:この水を飲むと病から救って下さる水
 吉祥水:「瀧のぼりの清水」で親しまれた水  

国道から望めた仏殿は真新しく立派な建物で中には日本最大の総漆金箔張『千手十一面観世音菩薩』が祀られています。高さ12mで木造観音像では日本一の大きさで、千の手は地獄に落ちたものを救うと言われています。現世の利益と来世の幸せを与えて下さる観音様。

また、境内から望む「和歌の浦」は大阪湾をかこむ素晴らしい風景です。

紀三井寺で催されている千日詣の由来は龍宮乙姫の伝説で、乙姫が海の中でも消えぬ龍灯を献上したと伝えられています

龍宮乙姫とは浦島太郎にでてくる御姫様なのか、日本神話のトヨタマヒメか・・・よくわからない。
また、浦島太郎伝説は日本国内十数箇所あり、京都の丹後にある浦島神社がよく知られていて、浦島太郎の龍宮は沖縄の琉球と言う説もありますが、なぜ和歌山の地に出現するのかとチョット思いました。


第三番札所 風猛山 粉河寺

「父母の 恵み深き 粉河寺 ほとけの誓ひ たのもし身や」

JR粉河から北に進み中津川に掛かっている赤い橋を渡った先に、道の真ん中に立ちはだかるようにして粉河寺の大門が現れます。
大門は三間一戸の茶褐色で威風堂々たる風格を持ち異国感を想像する立派な門です。
粉河寺は奈良時代の770年の創建です。
山の猟奇孔子古が殺生を悔い千手観音の化身に導かれ千手観音像を得たことが始まりとされ、朝廷や貴族の信仰を得て栄えていたお寺です。

大門からは長屋川に沿って参道があり、参道の横は砂利が敷き詰められ手入れが行き届いています。砂利の奥に童男堂、念仏堂、太子堂と順に配置され日本古式の静かな雰囲気がたたずみ静寂さを感じます。 
私の人生の悪行の呪縛から解放していただきたく身代わり地蔵さんにお願いしました。
長い石畳の参道の先に、古風な雄大な中門が建っています。中門を潜ると広い境内に出ます。左には立派な石庭園があります。


粉河寺の石庭は有名な紀州の青石が組まれ、ソテツ、サツキが植えられた桃山時代に作成された枯山水庭園だそうですが・・・・・。
本尊の”十一面千手千眼観世音菩薩”は絶対秘仏で、これまで一度も開帳されたことがないそうです。

石庭と本堂を一体として眺めると雄大な景観です。
本堂は、一重屋根の礼堂(らいどう)と二重屋根の正堂(しょうどう)とが結合した西国三十三の中で最大の建築物です。
現在の本堂は1720年に再建され江戸時代中期の寺院建築の代表的建造物。不動明王、大日如来、閻魔大王、その他諸尊が祀られているそうです。

戦国時代に織田信長と豊臣秀吉は紀州征伐で根来衆、粉河衆と戦い粉河寺は炎上しました。根来寺は西へ約10Kmにあり根来忍者という僧兵がいて時代劇で良く出てくる根来衆とここのことですね。
家に帰ってから知ったのですが、徳川第8代将軍吉宗が寄進したと言われる左甚五郎の「野荒らしの虎」を見つける事が出来なかったのが悔やまれます。

◆お土産物産店があり、コーヒーを頂くために入店すると、”男はつらいよ第24作のロケ地で寅さんの写真が飾られています。帰ってから”男はつらいよ”を見直すと寅さんが大門横の石垣の前で下駄を売っているシーンがありますが、粉河寺と判断できる場面がありませんでした。もう少し粉河寺と分かるシーンがあっても良かったかなと思います。山田洋次監督宜しくお願い致します。


第四番札所 槇尾山 施福寺

『深山路や 檜原松原 わけゆけば 槙の尾寺に 駒ぞ勇める』

大阪府と和歌山県の間にある和泉山脈の中央にある槇尾山。槇尾山の山深い難所に建立された寺院

施福寺へ行くには槇尾山の中腹まで車で行けますが参道入り口から施福寺までは、西国三十三所一二を争う難所に立てられています。足が丈夫なうちに参拝しなければと挑んでみました。(右航空写真)
参道の入り口の看板を通過すると、ここから約30分の山道を登ることになります。入山すると直ぐに八丁と書かれた石碑があります。1丁は約110mだそうです。いざ!。挑戦!。
”迎え観音”がひっそりと佇んで迎えてくれます。更に山道をしばらく登ると木々が生い茂った中に仁王門が静寂の中でこぼれ日に照らされひっそりと佇んでいてタイムスリップしたみたいです。
仁王門を潜った後は本格的な山道となります。石段が整備されていますがさすがの難所と思わせます。各所に休憩所が設けられ、ゆっくり休み休み登ったので30分以上は掛かりました。
本堂前の最後の石段の途中には弘法大使の御髪堂があります。最後の1丁からの石段を上がりきると広場に出ます。いくら修行だとしてもこんな山奥にお寺を開かなくてもと思います。

◆既に上醍醐に登って参拝していました。施福寺は上醍醐に次に継ぐ難所だと思います。上醍醐は確か20丁の道のりだったかな?。
施福寺は仏教の普及に務めた聖徳太子が誕生(574年)する前の539年に行満上人が創建したとされています。

展望台からは葛城山などの山々が望めます。訪れたのが11月なので紅葉が赤く染まり美しい光景でした。

境内の左に本堂、右に観音堂と展望台があります。
本堂は豊臣秀頼寄進で、本堂に”十一面千手千眼観世音菩薩”が祀られていいます。長寿延命、身体健康のご利益はこの参拝道を上り下りしていると健康でいられることで山奥に建立されたのかな。
施福寺では観音様等の写真撮影が許可されていましたので、いくつか撮影させていただきました。

 @左:十一面千手千眼観世音菩薩
   (西国三十三所観音様)
 A中:本尊弥勒菩薩
 B右:文殊菩薩

西国三十三所の観音様一覧                     


施福寺には多種多様の観音様が鎮座され万人に御慈悲を下さる本当にありがたいお寺と感じ観音様に御祈りができて良かった。

@三元観音像
A方違大観音
 悪い方角を良い方角に変えて下さる。
B花山法皇足守馬頭観音
C眷属二十八武衆
 眷属(けんぞく)とは、如来や菩薩の家来のような存在。千手観音を護ると同時にその信仰者を守護する役割を持っている。



第五番札所 紫雲山 葛井寺

『参るより 頼みをわくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲』

葛井寺は町の中に建立され庶民に親しまれたお寺です。藤井寺と言えば馴染みがあるのはプロ野球の元近鉄バッファローの本拠地があった所で、近鉄電車『藤井寺駅』から商店街を通り抜けと葛井寺の西門前に出ます。 西門から入ると境内です。

あかん!。あかんたれ!。
  『あかん奴!。葛井寺が助けてくれるよ。』

●”
あかんは関西弁と思っていました。実は、明日香村に住む「安基」は奈良から河内にかけて暴れまわる厄介者で多くの人々に嫌われていた人で葛井寺に逃げ込んだが地獄で千手観音に助けられ、あかん奴を助けてくれる「あかん河内の葛井寺」となったそうです。
現在の境内は狭いですが安土桃山時代には金堂、構堂、それに東西の塔を備えた大伽藍だったそうで、藤井寺の町の中にあったことから庶民に信仰されてきたことが伺えます。

 本尊 十一面千手千眼観世音菩薩
   (1043本の手を持っておられます。)
毎月18日は観音様とのご縁を深める縁日として御本尊が開帳されます。

『葛井寺』と地名の藤井寺の『葛』と『藤』を合わせると『葛藤』になります。人生の迷いを解いてくれるお寺になっています。
 葛井寺は聖武天皇の勅願により725年の創建で、毎月18日の観音開扉の日で御本尊が拝聴できる縁日とされています。本尊の十一面千手千眼観音世菩薩は日本一古いとされていて私は写真で見ましたが必見と感じました。

“千日まいり”の日に1日お参りしただけで46千日分(126年)の功徳を頂けるという、凄いご利益のある行事があります。ありがたい観音様に厄除け祈願のお参りをしました。
本堂手前の左に「手水舎」があります。これは弘法大師の「手掘り井戸」と伝えられています。参拝者はここで手を洗っています。 

 
葛井寺では毎年4月中旬から5月上旬にかけて藤まつりが行われ、今回は“藤まつり”に来ました。
境内の各所に藤棚があり白や紫の藤が咲き甘い香りに包まれ観光者で賑わっていました。
もともと藤はつる植物で橋に巻き付くなどして成長するので困った植物なのですが棚を作ることで他の植物に巻き込むことを回避しているのでしょう。
南大門は令和の改修工事中を終えて、リニューアルされた南大門を撮影しようと一般の方々が写真におさめられていました。

南北朝時代、「葛井寺の合戦」では後醍醐天皇側の楠正行(楠木正成の長男)と足利尊氏ひきいる幕府軍と戦いの場となった場所です。
葛井寺の西には、スサノウノミコトなどが祀られている辛国神社があります。主殿の前に「茅の輪」が置かれていたので無病災対策でくぐっておきました。同時に訪れておくのも良いと思います。