『逆緑も もらさで救う 願なれば 准低堂は たのもしきかな』
| 「醍醐のお山に登った?。」 伏見区の東に標高450mの醍醐山があります。醍醐山の山頂に上醍醐寺があります。 醍醐寺には下醍醐と上醍醐があり下醍醐の横には三宝院があり、上醍醐寺の”准胝観音堂”が建立されていて、准胝観世音菩薩が安置されていましたが雷により本堂が焼失し下醍醐寺へ移されましたが登りました。 上醍醐寺は西国三十三箇所の中で一番の難所と思っています。醍醐天皇の勅願寺。 上醍醐には下醍醐の東の出口か下醍醐の外から迂回して女人堂から入場します。 2021年3月11日に2度目の上醍醐を訪れました。 |
| 上醍醐には女人堂から谷川の横の山道を登って行きます。入山してしばらく登ると槍山の地にでます。 1596年9月5日に”慶長伏見大地震”が発生し、豊臣秀吉が築城した指月伏見城天守が倒壊し、翌年5月に木幡伏見城が建設される。秀吉は女性たちを元気にするために醍醐の山に花見を開いた。ここが花見を開いたとされる槍山の地にでます。 槍山から下醍醐・三方院が一望できるとなっていますが”立入禁止”で入れなかったので確認できませんでした。 |
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| 槍山から一層厳しい参道を登って行きます。途中、滝があり休息をとります。 更に険しい山道が続きます。西国三十三所で一番の難所と思います。途中休み休みで十七丁、十八丁と石碑を見ながらゆっくりと登り2.6Kmの道のりを登り上醍醐に到着します。一気に登り切るのは絶対無理です。 |
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| 上醍醐には、開祖が湧き出る水を飲んで”醍醐味”と言われた醍醐水が今でも湧いています。コップが置いてあり頂いたら美味しかったです。 上醍醐にも多くの伽藍が建立されています。 |
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| 西国三十三所十一番札所の准胝堂は2008年(平成20年)平成20年8月24日未明 上醍醐准胝観音堂が全焼しました。 痛恨の極み、筆舌に表わすことはできません。 当夜、上醍醐一帯は、風雨強く、雷注意報発令中であり、23日22時56分の雷鳴は、ことのほか大きく、落雷を思わせるもので、この時に上醍醐の火災報知機は全滅しました。通常、火災報知機は異常を感知すると、自動的に消防署へ直結され、いち早く通報されます。通報を受けた署より寺務所へ確認通報があるのですが、それを不可能にするほどの大きな力でありました。 准胝観音堂は雷により焼失し現在再建中で、観音様は下醍醐の”観音堂”に安置されています。 |
| そして、五大堂 醍醐天皇御願により907年に建立。 2月23日には醍醐寺最大行事の“五大力さん”が催され「不動明王」「大威徳明王」「軍茶利明王」「降三世明王」「金剛夜叉明王」を信仰することで、あらゆる災難を払い除け、一家安泰とされています。 |
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断崖絶壁に張り出して建築された如意輪堂、重量感たっぷりの開山堂。 | ![]() |
| 観音堂 本尊、『准胝観世音菩薩(じゅんていかんぜおんぼさつ)』さんで、醍醐天皇がお子様に恵まれず准胝観音様に祈ると、朱雀天皇と村上天皇の2人の雀天皇と村上天皇の2人の子供が授かり、それ以来、新しい命を授かり、命を育み、縁に感謝することが祈りの中心でなったそうです。 |
| 准胝観世音菩薩 |
| 五重塔は京都府下の最古(951年,38.2m)の木造建築で、応仁の乱で唯一残り慶長伏見大地震で指月伏見城は倒壊しましたが五重塔は倒壊せずに残った不死鳥の五重塔です。五重塔を近くで見ると約1070年の年月の経過が感じられます。 五重塔の周りでは記念写真を撮影する方々で一杯です。五重塔の前に出て写真を撮ってすぐに引っ込む方ばかりで周知されたマナーです。
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醍醐寺と言えば五重塔です。 | |||
| 広い下醍醐の東門出口近くに弁財天が祀られている弁天堂があります。 晩秋には赤い紅葉に囲まれ美しい写真を撮影することができます。 |
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醍醐寺は『宇宙法要』を行うことを発表していいます。 テスラスペース社との合同で2023年の打ち上げ予定の人工衛星(Iot)に「浄天院(ごううん)寺」と名付けた本尊や曼荼羅を搭載し、地球から祈る人たちのよりどころにする。 |
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| 三宝院は、寝殿造と書院造からなる桃山建築。桃山建築は豊臣秀吉が自ら設計したことで、豊臣秀吉が統治した時代の事です。 三宝院玄関前の「土牛の桜」をパノラマ撮影しました。多数の支柱で支えられ大きく豪快です。また、霊宝館の枝垂れ桜は醍醐寺でもっとも古い桜です。 |
| 三宝院の座敷に座り、北の政所(ねね)が、淀殿が、まつ殿が歌を詠んだのかと感慨深くなります。 | ![]() |
| 是非、下醍醐、上醍醐、三宝院は訪れましょう。(醍醐の花見(4月第2日曜)は人がいっぱいなので避けて)醍醐寺の春季拝観料は、下醍醐、三宝院、霊宝館セットで1,500円、上醍醐が600円、駐車場が乗用車で1,000円とチョット高額です。(2020年現在) |
『みなかみは いづくなるらん いわまでら きしうつなみは まつかぜのおと』
| 石山寺から京滋バイパスの側道を岩間山に向かって山道を登っていった先に岩間寺が建立されています。 岩間寺入口の左右に黒いスリムで静観な仁王像が迎えてくれます。 722年に元正天皇(44代女性)の勅願で泰澄大師が創建されました。 |
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| 境内の真ん中に幹回り3.7m、樹齢450年の銀杏の大樹があります。 2020年12月8日の参拝時は、岩間寺境内が黄金の絨毯になり美しい光景を醸し出しています。若干落葉が進んでいたかな?。 本尊は『千手観世音菩薩』さんで、「抜苦与楽」は苦を抜き楽を与えること。ここの観音様は、地獄で苦しむ人々を救済する為に136の地獄を駆け巡ってくれるそうです。そのため夜明け前に逗子に戻られる時には汗びっしょりになっていることから”汗かき観音様”とも呼ばれていて『抜苦与楽』観音様にお参りすると悩みが消えて豊かな心になるとされています。 私は地獄に行かないと思いますが、万一地獄へ送られたら救ってほしいので参拝しました。 |
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| 本堂と不動堂の間に小さな古池があります。ここで芭蕉が『古池や蛙飛び込む水の音』が詠まれたと言ってます。 | ![]() |
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| 境内の奥には”お砂ふみ道場”として西国三十三所観音霊場の観音像を模写した三十三体の観音石仏が鎮座されています。一体一体お参りをして西国三十三所巡礼のご利益を2倍にしました。 また、上醍醐へ通じる山道があり巡礼者は山道を歩いていたのだろうと思います。 仁王像前に”ぼけ封じ観音”様が迎えてくれています。ぼけないように大事にお参りしました。 |
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『後の世を 願うこころは かろくとも ほとけの誓い おもき石山』
| 京阪石山坂本線で琵琶湖から流れ出る瀬田川の西岸にある終点の”石山寺”駅。小学生の頃の遠足で石山寺駅から歩いて訪れたと思います。もう5~6回参拝しています。 石山寺は、聖武天皇(45代)の勅願によって747年に創建された。そう奈良の大仏が745年に製作が開始され752年に開眼供養された同時代です。 平安貴族の女性に信仰されていました。 瀬田川と伽藍山の木々に囲まれた石山寺は風光明媚で文学的喚起力を与えてきたと言われて古来より文学者が多く詣でしたのは有名です。 瀬田川に面した”東大門”には仁王像が睨みを利かしています。 |
| 石山寺のキャラクター”おおつ光ルくん!”が瀬田川の西岸道路で石山寺の方向へ道案内しています。 ”おおつ光ルくん”は源氏物語の光源氏をモチーフにしていると思いますがもう少しイケメンもいいかなと思う。 ”東大門”を潜り一直線の参道をしばらく歩くと”志納所”があります。更に進むと石段下に出ます。 |
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| 石段を見上げ40~50段上がると正面に石庭が待ち構えています。 石山寺と言えば石庭です。石庭には大きな硅灰石の岩群が配置されています。その奥に多宝塔が鎮座しています。 春は桜、秋は紅葉の風景は美しく、このアングルが最高とされてますが、今回は枯れ木でした。桜が咲いていたら素敵だったでしょう。 石庭の岩の隙間にはお金が挟まっておかれています。日本人の風習なのでしょうか。 お山の上に伽藍が沢山建立されていて登ってお参りするのも大変です。 |
| 石庭左横の石段から上を眺めると本堂が隠れて見えます。実際は大きいお堂ですが全景を撮影するポイントが無く残念です。 本堂の中に『如意輪観世音菩薩』様の御前立が黄金に輝いて鎮座されています。縁結と金運アップのご利益をお願いしました。 本堂正面右に小さな祠があり中で紫式部が「源氏物語」を執筆している姿を示されていますが暗いです。もう少し明るくすればよいのにと思うばかりです。 |
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2024年NHK大河ドラマは”光る君へ”です。 石山寺周辺は”紫式部”一色です。 紫式部(平安時代中期⑦990~活動)が『源氏物語』を最初に執筆した場所され、一条天皇(66代)中宮の彰子に仕えている間に『源氏物語』を完成させています。 ”石山寺郵便局”前に設置されている”ポスト”は紫式部に彩られています。石山寺境内にも紫式部の幟が幾つも掲げられています。 さて、紫式部のライバルの「枕草子」を執筆した清少納言。”光る君へ”ではナレーションで”清・少納言”と紹介されています。ここで区切るのかと驚いています。 |
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| 1194年、源頼朝の寄進により建立され、慶長期(1596~1615)に淀殿の寄進によって新築に近い大規模な修理が行われていました。 |
| ◆『花の寺』と言われお寺の周囲には梅園(「薫の苑」、「東風の苑」、「水仙の苑」、「迎えの苑」)、河津桜、藤さくら、ソメイヨシノ、ヤマサクラ、シダレサクラ、ヤエノヤマサクラ、サトサクラ、コセガンザクラ、ヒガンザクラ、カンザクラと石山寺は春色に染まります。 仁王門前の瀬田川近くに河津桜が植えられ満開でした。 |
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| ◆『源氏物語』は日本の長編物語で光源氏の恋愛を通して平安貴族社会を描いています。 『今宵は十五夜なりけり』と書き出しの源氏物語を読もう。 | ![]() |
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◆石山寺は戦国時代に織田信長と争った足利義昭の本陣があったため焼失しましたが淀殿が大修復によって完成されたとか。
◆瀬田の唐橋は、日本書紀(720)に『唐橋を制する者は天下を制す』と書かれている要衝の要です。壬申の乱(627)、治承・寿永の乱、承久の乱(1180)で戦の場になりおり、織田信長も統治した橋です。東方から京へ上洛する為にはこの橋を渡る必要がある争奪戦があった場所です。日本の歴史を勉強するのも良いかも。
◆瀬田川岸には遊覧船船着場があり遊覧船に乗ると瀬田の唐橋の下をくぐってくれる。
『いで入るや 波間の月を 三井寺の 鐘のひびきに あくる湖』
| 琵琶湖の大津京の南に園城寺(三井寺)が建立されてます。広い駐車場に接して、威風堂々の仁王門が建立されています。 園城寺は飛鳥時代(672)日本古代最大の戦の壬申の乱で天智天皇が築いた大津京が滅びた頃に大友村主によって建立されました。 金堂の後ろからの湧き水を天智天皇(38代、668年即位)、天武天皇(40代、673年即位)、持統天皇(41代、690年即位)の三天皇が産湯とされたことから三井寺と呼ばれるようになった。 仁王門から参道を進み正面の石段を上がると金堂がそびえています。 大津京(667~672)を造営した天智天皇が弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていたが亡き後、大友の皇子【弘文天皇(39代)】の子が弥勒菩薩像を本尊とすて寺を建立したのが始まりとされています。 金堂から左横の参道を三重塔を横切り前へ前へと進み”微妙寺”、”毘沙門堂”と進んだ先に観音堂前に到着します。 |
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| 観音堂の御本尊は『如意輪世音菩薩』は33年に1度開帳になりますが御前立を見る事ができます。厄除けのご利益があり、厄年と前後にはお参りしましょう。私は本厄の61歳に参拝し何事もなく過ごしました。 ありがとうございます。 |
| 観音堂の右側に「観月舞台」があります。「観月舞台」の前は絶壁でそこには桜の木があります。 「観月舞台」の利用は、1組最大6名様で、5分間 2,500円となっています。チョット高価だと思いますが、一年間で5~6日間しか美しい光景が楽しめない貴重な時間なので妥当な金額かとは思います。しかし、外部から撮影しました。 |
| 春の桜の季節は目の前が桜の花で満開になり絶景の景色になり三井寺の売りの一つです。是非訪れて写真に収めたいと思います。 |
| 源義経のお供をしていた武蔵坊弁慶は比叡山延暦寺の僧侶で三井寺の鐘を奪い比叡山まで引きずって持ち帰ったと言われる鐘がある。 |
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| ◆1180年平清盛は三井寺が以仁王の味方したことを理由に焼き討ちをして金堂を除き焼失しました。 ◆境内の至る所に広い場所があり時代劇などの撮影にはもってこいです。 ◆もともと山上にあったお寺で婦人方でも観音様の御利益を願う人々の為に山を下りてこの地に鎮座され善男善女が参拝するようになった。とされています。 ◆水戸黄門の17部西村晃の再放送を見ていたら、三井の園城寺として映し出された。 また、「るろうに剣心」など多数の撮影ロケ地となっている。近代、時代劇のロケを行う場所が少なく由緒ある寺院で撮影されるのでしょうね。 |
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『昔より 立つとも知らぬ 今熊野 ほとけの誓い あらたなりけり』
| 京都東大路通りの南端から泉涌寺に通じる泉涌寺通を進むと左側に今熊野観音寺へ向かう朱色の橋に出会います。 後白河法皇より「新那智山」を受け賜わり、この地を熊野信仰として参られていた。その風景は異次元の入口感を漂わせています。 |
| 観音寺入口には“厄除け、ボケ封じ”の赤い幟旗が案内してくれてオレンジの鳥居橋を渡ります。 その先は、樹木が生い茂り新緑の森の中に静寂を感じたまま進と「子護大師」像のでます。子供の心身健康・学業成就・交通安全などを祈願しましょう。 |
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| お参り後石段を上ると境内に出て今熊野観音寺本堂が建立されています。 天照大野神作の一寸八分の『十一面観世音菩薩』を祀った。または、平安の昔、弘法大使空海が唐の国から帰国され観音菩薩像も祀られているとか。 本堂は堂々たる風格があり年代を感じます。頭痛封じ・ボケ防止の祈願を大切にお参りしました。 |
| 開創された弘法大師をお祀りしているお堂です。東山大師と呼ばれ、大師信仰の方々のお詣りが絶えません。 不動明王、愛染明王、また当山の伽藍を寄進建立された左大臣藤原緒嗣の像もお祀りされています。 |
| 大師堂の前に立たれる観音さまが、「ぼけ封じ観音」です。私たちをとりまく心や身体のぼけを取り除いて下さる観音さまです。 | ![]() |