Snapshot

第16~20番札所report

第十六番札所 音羽山 清水寺

『松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん』

何度か参拝しました。四季折々の景観が楽しめるお寺です。
一大決心をで『清水舞台から飛び降りる。』あまりにも有名な清水寺。
五条坂を歩くと清水坂にでます。清水坂からはお土産さんが建ち並び賑わいがでてきます。八つ橋、油紙店を横目で通過すると仁王門と西門の前にでます。

仁王門前の石段の下は、仁王門と西門をカメラのフレームに収める構図が撮影ポイントで普段は修学旅行生や和服を着た観光客が沢山いますがCOVID-19で殆ど無人の状況で写真が撮影できました。

778年の創建。平安京遷都(794年)前に創建されています。桓武天皇を支え平安京守護神の征夷大将軍となった坂上田村麻呂が建立した清水寺です。
仁王門を潜り境内に入り、朱色の美しい三重塔を横切り、拝観受付所で拝観料を納めて轟門に到達します。
轟門は朱色ではなく木造の地肌で風光明媚で面持ちがあります。轟門を潜り回廊を進んで本堂へ向かいます。
回廊を進み本殿の入口には『出世大黒天』が打ち出の小づちを持って迎えてくれます。出世大黒天のご利益を承けまわれるように撮影しました。また、『今年の漢字』の昨年の漢字の色紙が飾られています。

清水寺の『十一面千手千眼観世音菩薩』様は「わたし」と「あなた」の心が一体となって「観音」になり「大慈大悲」が生まれこれが「観音力」となるとされています。
奥の院から清水舞台と京都タワーや八坂の塔が見え京都全体が眺められ京都を代表する風景です。

新緑の舞台と晩秋の舞台。2020年の暮れに舞台が補修されて真新しい木の舞台となっています。馴染むまでチョット違和感があるので数年待ちましょう。
舞台から望む奥の院も優雅に見えます。

清水の舞台は高さ13メートルの清水の舞台。釘を使わない技法で組み立てられた舞台。
音羽山から湧き出る『音羽の滝』は願い事を叶えてくれる三本の滝です。正面から見て右端は「延命長寿」、真ん中は「恋愛成就」、左端は「学業成就」とされています。「延命長寿」を祈願しつつ撮影しました。
清水の舞台と南方向に対岸する三重塔は子安塔で子安観音が祀られ安産祈願されています。また、子安塔から眺める清水寺は三重塔から本堂舞台まで一連で絶景の撮影ポイントです。(多くの拝観者はこの場所を通らずに行かれます。)

この場所で舞台を撮影していると、外国の方が”素晴らしいですね!”と話しかけられました。チョット誇らしくなった気分でした。
夜間照明の時に訪れた時は、観光客で境内を行列で進み静止して撮影できない状態で撮影した渾身の一枚です。
◆清水の舞台を出て左側にパワースポット地主神社があり最強の縁結びのご利益があるとされ訪れるかたは皆さん”恋占いの石”を行っています。
◆八坂神社は奈良の興福寺の円如が創建した天神堂が始まりで八坂神社の寺男が延暦寺に属する蓮華寺の紅葉の枝1本が発端でいざこざが興福寺と延暦寺の争いへと発展し清水寺と八坂神社が争い死者が多数出たとされています。
◆八坂と清水は三年坂で仕切られ、僧兵による勢力争いが生じていて「三年坂で転ぶと三年以内で死ぬ」と言われているので気を付けましょう。


第十七番札所 補陀洛山 六波羅蜜寺

『重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば』

951年に空也上人が西光寺を創建し、後に六波羅蜜寺と改名された。また、死者が葬られてきた六波羅。

第60代醍醐天皇(885~930)の第2子の空也上人が、流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曳き廻り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干しと結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。

本尊の『十一面観損菩薩』は秘仏で御前立がおられます。空也上人は『南無阿弥陀仏』というお念仏を最初に修されて広められた方。

本堂は赤茶色で屋根は寄棟造りで美しい曲線をしています。唐招提寺を思わせる形状をしています。

六波羅蜜寺が建立されていることからこの辺りが六波羅と呼ばれるようになった。
平安時代は平家が六波羅館を置き武家の拠点とし、承久の変の後は公家を監視するために鎌倉幕府が六波羅探題が置いたが足利尊氏に攻め込まれ滅亡した。

承久の乱:後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対し討伐の兵を拳げ北条義時に敗れた兵乱。
六波羅蜜寺のここがすごい。京都のパワースポット。
「弁財天」が祀られ、お金を洗い清めることで金運・財運のご利益を授かる。
また、結縁お守りがあり、木札に名前を書いて納め所に収めるとご利益があります。

六波羅というイメージが変わってしまいます。
◆六波羅密寺のあたりは「死の六道」と呼ばれ死者の亡骸を棺に納め鴨川を渡りお別れする地域とされています。
また、近くに六道珍皇寺があり、お盆には先祖をお迎えする六道巡りが行われ私どももご先祖さんをお向かいにお参ります。そして大文字の送り火でご先祖さんは帰って行かれます。
六道:地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、冥界の6つの世界に繋がっている場所と言われています。
(京都編で参拝報告あり)


第十八番札所 紫雲山 六角堂 頂法寺

『わが思う 心のうちは 六の角 ただ円かれと 祈るなりけり』

京のわらべ歌 ♪~姉さん六角蛸錦~♪ で歌われる六角通りの六角堂。

587年に聖徳太子が創建、京都の町のど真ん中に鎮座する六角堂。烏丸御池のすぐ南に建立されてます。

本尊『如意輪観世音菩薩』は秘仏で御前立。
”見る”、”聞く”、”嗅ぐ”、”味わう”、”触る”、”感じる”で欲を得ることで生じた六つの角を取ることが六角堂の祈りの心です。

六角堂の写真は、なんたって西隣のビルの9階から六角堂の六角の屋根を撮影するが定番。
明治10年の再建時に六角形の本堂の正面に拝堂の一辺が接した壮大な本堂に変貌されました。
京都のど真ん中に建立されている”六角堂”。4~5回参拝しているが、いつも参拝者であふれています。
  六角堂
 紫雲山頂法寺と寺号を紫雲山頂法寺と号する寺で、本堂が六角宝形造であることから、一般に「六角堂」の名で親しまれている。
 開基は、聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地を訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。早くから人々の崇敬を受け、弘仁十三年(822)には嵯峨天皇の勅願所となり、また長徳二年(996)には花山法皇の御幸があり、西国三十三所観音霊場[現十八番の札所]となったと伝える。建仁元年(1201)、親鸞聖人が当寺に百ヶ日間参籠して、霊告を受け、後に真宗を開宗する根源となった。
         ©看板より
  六角堂(つづき)
 本堂には、聖徳太子の持仏と伝える本尊如意輪観世音菩薩像、聖徳太子像、毘沙門天立像[重文] などを安置する。他に太子堂、親鸞堂等があり、本堂前の六角形の礎石は古来よりこの場所が京都の中心にあたるとされてきたところから「臍石」と呼び親しまれている。
 また、本堂北の本坊を池坊と呼び、室町時代以降、多くのいけ花の名手を輩出した、華道発祥の地として有名。現在も華道家元池坊の拠点となっている。
         ©看板より
平安時代初期の嵯峨天皇の妃は六角堂の柳の下に居られた伝説から柳の下を訪れると良縁に恵まれるとか縁結びの御利益がある。


◆名探偵コナン 2003年『迷宮の十字路』で使用されている ♪姉さん六角蛸錦♪ のフレーズで映画の中で六角堂の境内がいくつか模写さえ描かれています。映画を見ていると”ここだ!”と云う場所が出てきます。


六角堂に”WEST21”ビルが建っています。六角堂側が大きなガラス窓のなっていて、六角堂と御幸桜が映し出されています。
また、ビルの一階にスターバックスがあります。。そのスターバックス店内の東側は一面透明ガラスで六角堂の本堂全貌が眺められます。しかし、窓ガラス側の席は混雑していて座ることが出来ません。(新型コロナ禍で一度だけ座ることが出来ました。)

4月には目の前の御幸桜の花が咲き、鳥が蜜を食べるたびに花びらがクルクル回って落ちていく光景を見る事が出来ます。それをお地蔵さんが優しく見守っているようです。これは必見です。
六角堂の御幸桜は”早咲き桜”です。ソメイヨシノが開花するときに満開になります。
六角堂には逸話もあります。平安時代にお堂自身が北へ移動し礎石が六角通りに残ったのが”へそ石”だそうです。その後、明治時代に本堂の再建時にへそ石を更に境内へ移したと言われています。
聖徳太子ゆかりの如意輪観音菩薩坐像は、延命長寿、病気平癒、安産、魔除けとご利益があります。

聖徳太子が四天王寺を建てるために用材を探しに来られた時に池があったので沐浴された。その時に持たれていた如意輪観音菩薩様をこの地に祀られた。

◆華道いけばなの「池坊」の創始者が六角堂の住職さんです。


第十九番札所 霊麀山 革堂 行願寺

『花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん』

寺町通りを北へ歩いていくと東側に行願寺革堂があります。注意して歩かないと気が付かず通り過ぎてしまいます。
1004年の創建。西国三十三箇所巡礼開始時は建立されてなかったことになるが?。

また、本堂の前に“愛染堂”が建てられ「愛染明王」が祀られ恋愛にご利益があるそうです。
境内は狭いですが本堂には本尊御前立『千手観世音菩薩』様が祀られ格式ある建物で風格があります。

行円上人は、狩人で山の中で鹿を射たところ鹿の腹の中から小鹿が出てきたことにショックを受け革の衣を身に着け行脚されたことから革聖人と呼ばれ革堂となったそうです。

都の中で何度も火災にあい再興されています。
境内にある蓮の鉢は5月には美しい蓮の花が咲き観賞するのもよいでしょう。



 

第二十番札所 西山 善峯寺

『野をもすぎ 山路にむかふ 雨の空 善峯よりも 春るる夕立』

京都から西山を見れば中腹に寺院が見えます。それが善峯寺です。

京都の西山の山道を走り到着した駐車場から善峯寺の山門は目の前です。山門の軒回り組物の前面は白で側面は茶色に塗られ、歌舞伎の化粧を思わせるデザインで風格があります。
1029年の創建
源算上人が西山に登られたのですが土地が厳しくてお堂を建てるのが困難だったが地元の阿智坂明神と出会い力を借りることになりました。そうすると猪の大群が押し寄せ地均しをして、その所に建立され、源算上人が十一面千手観音さまをお刻みになられて小さな祠を祀られたのが善峯寺とされています。

本尊、『十一面千手観世音様』は秘仏で脇本尊『十一面千手千眼観世音菩薩』が祀られています。

テレビで紹介された片岡鶴太郎氏が描いた襖絵『游鯉龍門圓』があり、秋には一般公開されるそうです。
石段を登り格調高い立派な本堂(観音堂)の前に出ます。
本堂の右横の石段を登ると『遊龍の松』が迎えてくれます。
『遊龍の松』は樹齢600年、全長37mで龍が泳いでいように広がる一本の松です。本当に一本なのか注意してみましたが一本でした。
春は枝垂れ桜、初夏はアジサイ、秋は紅葉と一年中楽しめます。
釈迦堂、薬師堂の展望場所から、京都の町が一望できます。遠くに東山三十六峰が見渡せ見どころ満載です。
桂昌院(徳川綱吉の生母)の遺髪が収められています。応仁の乱で多くの建物が焼失したが桂昌院が多くの伽藍を寄進した。

西山三山には善峯寺の他に、光明寺、柳谷観音寺があり参拝してみましょう。