「天空の聖地」平安時代のはじめに弘法大師によって開かれた真言密教の聖地です。
| 西国三十三所巡礼の満願お礼参りは標高800mの峰々に囲まれた天空の聖地の高野山。 高野山は、唐の長安で密教を学んだ弘法大師が西暦816年に嵯峨天皇より高野山を賜り817年に諸弟子が登山し開創に着手されました。高野山全体が金剛峯寺と言う東西3Km,南北2Kmの巨大な境内地として117の子寺院があり、”大門”、”壇上伽藍エリア”、”奥の院エリア”で分けられています。よって、高野山と呼ぶのではなく“金剛峯寺”と呼ばなければなりません。 真言宗は「誰もが平等という教え」のもと、ここを浄土と信じた人々の墓が宗派を超えてこの地に集まるそうです。だから奥の院参道に戦国武将の墓所が敵味方関係なしにあるのでしょう。 |
![]() |
| 5月の連休に南海電鉄難波駅から”こうや号”に乗って”極楽橋”駅へ出発します。橋本までは軽快に走っていましたが橋本駅からは山道になるのでスピードがガクンと落ちゆっくり走ります。 極楽橋ではケーブルカーに乗り換え”高野山”駅に到着します。 |
![]() |
![]() |
| 高野山へは、南海交通で行くのが便利ですが、自家用車でも高野山を登る道も山道を沿って走る道にショートカットする橋が多く建設されていて楽に登って行けるようになっています。 高野山へは、南海交通で行くのが便利ですが、2022年から京都⇔高野山高速バスが開通され更に便利になりました。また、自家用車でも高野山を登る道も山道を沿って走る道にショートカットする橋が多く建設されていて楽に登って行けるようになっています。 高野山駅前には高野山境内を巡回する南海りんかんバスのステーションがあり、高野山⇔南大門、高野山⇔奥の院へ運行され高野山内が移動できます。 |
|
![]() |
『金剛峯寺大門が迎えてくれます。』
| 高野山の南側登山道を登った所に金剛峯寺大門が迎えてくれます。さすがに大きい二重門。ここから先が金剛峯寺。 高さ25.1mの総門として威風堂々した門構えをしています。右が「阿形の仁王像」、左が「吽形の仁王像」で力強い守護神と思われます。 |
| 大門から見る下界は山々の大自然が展望でき天空に来たと思わされます。 ただ、壇上伽藍からチョット離れているためか観光客は多くないです。 |
![]() |
| 大門から南海りんかんバスに乗車しまずは奥の院へ出発します。 | ![]() |
![]() |
『奥の院の見所は、御廟、供養搭、墓所です。』
| 奥の院の見所は、御廟、供養搭、墓所です。 寺院で本殿より奥にあって秘仏などを安置してある奥の院弘法大師「御廟」までは、一の橋入口と中の橋のコースあります。 中の橋には大駐車場があり入口には大きな門跡があります。 |
![]() |
![]() |
| 中の橋から入場すると、各企業の供養碑が祀られています。 参道入り口近くにひと際目立つのがアポロ11号を模したロケット供養塔があります。 |
![]() |
| パナソニック、ヤクルト等の企業の中で亡くなった方などへの供養塔です | ![]() |
![]() |
| 中の橋から参道を進むと第二次世界大戦の戦死者を供養するために建てられた『英霊供養堂霊殿』が建立されています。 | ![]() |
![]() |
| 御供所です。御廟で修行されている弘法大師の食事を作っておられる場所で、6時と10時30分に作り運ばれているそうです。 |
![]() |
![]() |
| 御廟橋の手前には水向地蔵が並んでいます。願い事を祈り手尺で水をかけてあげましょう。 先祖供養の水向地蔵に水をたむけ願い事を叶えてもらう。 御廟橋の手前には水向け地蔵が15体並んでいるので先祖供養の右から順に水をたむけ(手尺で投げかける)祈りを捧げます。 皆さん水を投げかけるので水飛沫が帰ってくるので気を付けましょう。 |
![]() |
![]() |
| 御廟へと更に進むと、神秘的な雰囲気漂う聖域です。奥の院の山道は杉木が真っ直ぐ育ち木漏れ日が射し込み神秘的な風景をなしています。 奥の院は御廟橋から先は撮影禁止なので御廟橋から撮影した弘法大師御廟を拡大しています。 |
![]() |
御廟では、今現在でも弘法大師が修行されています。御廟と燈篭堂が建立され、御廟の地下に弘法大師が修行され燈篭堂の地下に法場があります。 2022年に訪れた時は燈篭堂の地下に法場は、新型コロナの影響で閉鎖されていて参拝することが叶いませんでした。以前、訪れたとき「燈篭堂の地下の薄暗い通りを両側には沢山の灯篭や仏様が並べてあり、途中の扉の奥の御廟では大師が修行され、毎日配膳されている。」と記憶しています。記憶回帰でもう一度参拝したかったので悔やまれます。 |
| 一の橋から弘法大師御廟までの1.6kmに及ぶ参道には諸大名の墓所(供養塔)が建ち並んでいます。 織田信長、豊臣秀吉、徳川家、明智光秀、その他にも名だたる武将の墓所があります。 |
![]() |
![]() |
| 織田信長は紀州攻めで高野山を攻めましたが本能寺の変で兵を引き、その後、豊臣秀吉は根来、粉河衆を攻めましたが、高野山は残党を斬首し協力して免れたそうです。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
参道の要所に、立て看板が建てられています。
|
『壇上伽藍は曼荼羅(悟りの境地を絵柄にした)』
| 壇上伽藍は曼荼羅(悟りの境地を絵柄にした)の世界観を具体化したものと言われ19の諸堂があります。 金剛峯寺への門になります。 ⇒弘法大使がお住まいになっていたお堂です。 真如親王の御筆による大師の御影が安置されたことから「御影堂」と呼ばれるようになった。 壇上伽藍エリアの中心が金剛峯寺です。 |
![]() |
![]() |
| 【金剛峯寺】金剛峯寺は全国3600に及ぶ末寺の宗務を司っている。広い広い畳の部屋です。 |
| 回廊を通り別殿へ 別殿の寺院内休憩所では、僧侶が説法を語られています。 お話しぶりから、全国の住職さんが持ち回りでお話しされているようです。 |
| 歴史に名を残す絵師の筆による襖絵で飾られた部屋や、豪壮な台所が拝観できます。 |
| あの豊臣秀次が自刀したとされる清巌寺(金剛峯寺の東側にあった寺)の間も拝観する事が出来ます。秀次も良い迷惑をこうむったものだと思っています。 |
| 高野山開創1200年記念で再建された中門を潜ると金堂の前に出ます。 金堂は広い境内に伽藍が建ち並んでいます。 |
![]() |
![]() |
| 壇上伽藍の象徴と言える根本大塔は昭和12年に再建されました。 |
| 東塔、大会堂、根本大塔 | ![]() |
![]() |
| 御影堂は弘法大使がお住まいになっていたお堂です。 真如親王の御筆による大師の御影が安置されたことから「御影堂」と呼ばれるようになった。・・・・・大師は奥の院で修業中では?。壇上伽藍には多くの伽藍が建立されています。 |
![]() |
![]() |
| 蓮池です。昔は蓮の花が咲き乱れたそうです。 | ![]() |
高野山の名産は胡麻豆腐。 濱田屋は保冷バック持参でないと購入できませんので必ず保冷バックを持参して下さい。 高野豆腐は高野山で製法が完成された凍り豆腐が精進料理として日本に広まったとされています。 |
![]() |