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岡山report

岡山駅

『桃太郎の吉備の国』

『吉備の国』と言えば『桃太郎』です。
『桃太郎伝説』のゆかりの地は、『吉備津神社(北区)、『鬼ノ城(総社市)』、『楯築遺跡(倉敷市)』とありますが、アクセスが困難で今回は見合わせます。
岡山駅前には、路面電車が運行されていて、イギリスの2大アニメの“チャギントン”。“きかんしゃトーマス“のデザインが施されていて愛着がある。

”さんすて”は”サンステーションテラス岡山”でJR西日本グループの駅ナカ商業施設

特急『やくも』。岡山から倉敷から伯備線で鳥取を経由して愛媛県出雲へ走る特急です。途中で備中高梁駅に停車する。8両編成で乗車率は高かったです。おそらく出雲大社へ行かれる乗客が多いのであろうと思います。
車両は新しく豪華な仕様でした。



岡山城

『烏城(う城)』

岡山城は昭和20年岡山大空襲で天守を焼失し再建された。“烏城(からす城)”と思っていたら“烏城(う城)”でした。
2021年にせっかく岡山へ観光に来たのにリニューアル工事中で、その姿を見ることができませんでした。
2022年11月3日に令和の大改修を終えリニューアルオープンされ全貌を見る事ができました。
岡山城(烏城)
“旭川”の川岸に反り立つ岡山城。備前の国の大名である「宇喜多秀家」。豊臣政権下(末期)の五大老の一人で、家督を継いだ幼少時から終始、秀吉に重用されていた。関ヶ原の戦いで西軍について敗れて領国を失うまで、備前岡山城主として備前・美作・備中半国・播磨3郡の57万4,000石を領していた。

しかし慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いにおいて、西軍方の主力となった秀家は改易となり、西軍から寝返り勝敗の要となった小早川秀秋が入封し備前・美作の51万石を所領とした。ただ慶長7年10月18日(1602年12月1日)、秀秋は無嗣子で没したため小早川家は廃絶となった。

備前岡山池田氏の家紋「備前蝶」
慶長8年(1603年)、姫路藩主・池田輝政の次男・忠継が28万石で岡山に入封し、ここに江戸期の大名である池田家の治世が始まる。
烏城の黄金の鯱で先に後楽園が展望できます。
 今の岡山城付近には旭川の流域に岡山、石山、天神山という3つの丘がありました。その石山にあった城を手に入れて本拠地とし、岡山の地を戦国の表舞台に立たせたのは宇喜多直家でした。その子の秀家は、岡山の丘に本丸を定め、今に残る岡山城を築きました(1597年天守完成という)。江戸時代の文献によると、築城は豊臣秀吉の指導によるものといわれます。さらに、多岐にわたる旭川の河道を利用して、流れを現在のように城の北や東を守るように整えたり、堀づくりに活用し、堀の間に南北に長い城下町をつくりあげました。こうして今に続く中心市街地の原型ができ、岡山の名が、市名、県名となる礎となりました。その後城主となった小早川秀秋、池田氏により城と城下町は、さらに拡張され今に至ります。

 岡山城の天守は、織田信長の安土城や豊臣秀吉の大坂城がそうであったといわれるように、外壁は黒塗りの下見板で覆われていて、烏城の別名があります。また、発掘によると宇喜多秀家時代の金箔瓦が出土しており、築城時には、城内の主要な建物の随所に金箔瓦が用いられ、豊臣政権下の有力大名である権威を示していたことでしょう。これにより金烏城とも呼ばれます。

 さらに、天守の石垣や1階の平面が不等辺五角形をしているのも特徴の1つで、土台になった岡山の丘の地盤にあわせたためといわています。さらに、西側には付櫓として塩蔵が付属し、天守への入口がありました。

 天守は明治維新後も残る貴重な存在で、昭和初期には詳細な図面が残されましたが、戦災で焼失しました。しかし、昭和41年(1966)には、往事の姿を偲ばせる天守が再建されました。   ©パンフレットより



後楽園

『日本三大庭園』

『烏城』と隣接する大名庭園・後楽園は、水戸・偕楽園、金沢・兼六園とともに、日本三名園として並び称される。
訪れた時はあいにくの小雨でした。入園すると広い敷地に大きな池。
1回目の2021年10月は生憎雨が降っていました。
2回目の2024年5月は晴天に恵まれています。
後楽園は、岡山二代目藩主池田綱政が1700年に完成しました。
池田家と言われてもピンとこないが、織田信長、豊臣秀吉に仕えた池田恒興の“玄孫”に当たります。

岡山城とは旭川の“浮見橋”で繋がっていて行くことができます。
 岡山後楽園は、岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて、貞享4年(1687)に着工、元禄13年1700)には一応の完成をみました。その後も、藩主の好みで手が加えられましたが、江戸時代の姿を大きく変えることなく現在に伝えられてきました。
 また、江戸時代の絵図や池田家の記録、文物が数多く残され、歴史的な変遷を知ることのできる、地方では稀な大名庭園となっています。
 後楽園は、かつて藩主の静養の場、賓客接待の場として使われましたが、日を定めて藩内の人々にも観覧が許されていました。
 明治17年(1884)に岡山県に譲渡され、一般公開されました。
 昭和9年(1934)の水害、昭和20年の戦災では大きな被害を被りましたが、江戸時代の絵図に基づいて復旧をおこないました。
 昭和27年には文化財保護法による「特別名勝」に指定され、後世に伝える歴史的文化遺産として維持管理にあたっています。  ©パンフレットより
後楽園の一番大きい「沢の池」湖畔の「五十三次腰掛茶屋」横から「唯心山」と復旧工事が完了した『烏城』


日本に広く自生している野芝を使った、明るく広々とした庭園です。
『唯心山』から望む「延養亭」、「鶴鳴館」。


「延養亭」は期間限定で公開されています。
2021年に訪れた時は“延養亭“が一般公開されていましが、2024年5月は雨戸で締め切られていました。
2021年に一般公開されていた時の「延養亭」。藩主が後楽園を訪れた時に今として使われましたが、沢の池、唯心山、借景の操山と、苑内の景観が一望できる、後楽園の中心的建物です。 「能舞台」能に熱心であった池田綱政は優れた舞手で能装束の名品が数多く残されています。
延養亭に入場すると、障子の前に赤絨毯が敷かれていて、ガイドさんが「障子を開けると後楽園の庭園が一望できます。お願いですが、障子を開けるとき後ろから動画を撮影させていただき、ツイッターに載せさせてください。」と頼まで、快く了承しましたが、後日ツイッターを見ても掲載されてなくてガッカリでした。
江戸時代から鶴が飼育されていて、園内に『鶴舎」立っていて丹頂鶴(タンチョウ)が飼育されている。




岡山県立博物館

『近代?博物館』

後楽園散策中に園内放送で、『後楽園正面の博物館は無料公開中で「備中高松城の戦い」のゆかり品の展示中』と紹介がありました。興味があり入館しました。

『備中高松城の戦い』は、毛利氏の最前線を守る城と織田信長の先鋒の羽柴秀吉との戦いで、毛利側清水宗治が籠城し秀吉が水攻めの最中に、「本能寺の変」が起こり秀吉は急遽和睦し京へ大返しした歴史上重要な戦です。
高瀬舟の複製品が展示されていました。
博物館の一角に、子供の頃(昭和30年代)の生活用品が展示されていました。これらが博物館に展示されていること事態に自分も歴史の過去の人になったとショックを受けました。

白黒テレビ:真空管式白黒テレビ。昭和35年頃に我が家にやってきました。ブラウン管の水平同期がズレたり走査線が不規則に走ったりして調整したり、チューナーのロータリーが接触不良を起こしたりして修理していた。いや、壊したりしていた。

足踏みミシン:小学校家庭科の宿題で、ぞうきんを作るときに使った記憶があります。
足踏みのベルトが外れ何度もはめなおしていました。

ちゃぶ台:食卓に使用していて、食事の度にちゃぶ台の脚を出し入れして準備していた。
自動保温式炊飯器:保温ポット:魔法瓶と言っていた。ポットの中がガラス容器になっていて熱湯を入れて急激に冷めないようになっていた。落としたらガラスが割れるので慎重に取り扱っていた。
電気アイロン:家にあった。母さんが使っていた。
掃除機:このタイプはなかった。円型のでっかい奴があった気がします。
柱架け時計:家にあったのはゼンマイ式の掛け時計。4~5日で動かなくなるので定期的に鍵を使ってゼンマイを巻いていたな。
桐のタンス:お婆ちゃんが使っていた。重力感がありしっかり作られていた。時々、おばあちゃんがタンスから財布を出してお小遣いを貰っていたなと思い出されます。
氷冷蔵庫:昭和30年代前半に家にあって懐かしい。上の棚に小売りの塊を入れて、冷気が下の棚に入っている食べ物を冷やします。夏の暑い日に、氷屋さんがトラックで氷を売りに来て、氷の塊をのこぎりで切ってくれますが、のこぎりで切っていた氷の切かすを集めてくれます。その小売りのカスが冷たくて美味しかった。
洗濯板と洗濯たらい:母が洗濯板とたらいを使って選択していたのを思いだします。
手回し式洗濯機:これは流石に見たことがありません。
洗濯機:水を入れて回す洗濯機。絞り機はローラー式です。子供ながらローラー式の絞り機が楽しくて手伝っていたのを思い出されます。この後、洗濯機は発展し二層式、脱水機付、ドラム式と進化しています。
長福寺の三重塔。兵庫県に近い山の中にある由緒あるお寺です。
岡山県下最古の木造建築で 鎌倉時代の建築様式を伝える高さ約22mの三重塔は、鎌倉時代中期の弘安8年(1285年)に天台宗の円源上人によって建立されました。




RSKバラ園

『一日中楽しめるバラ園』

岡山駅周辺の観光地は、岡山城と後楽園が全てでしょうか?。岡山駅の名所を探していて、ちょっと離れたところに“RSKバラ園”がありました。とは言ってもアクセスが不便ですがJRとタクシーを使って行きました。

生憎の雨と新型コロナ禍だったので観光客は皆無でした。

バラ園は、直径200m程ある同心円状の花壇に、バラが栽培されていて、中心にラジオ送信局が設置されています。
同心円の外側には、梅林、サクラ、ボタン園、藤棚、ハナショウブ園、チューリップ、ロックガーデン(山野草)があり一年中楽しめそうなバラ園です。
レストラン、ドックラン、バーベキューテラスが併設され駐車場も無料で低予算で一日楽しめそうです。


RSKは、1953年(昭和28年)から1961年(昭和36年)までの間使用されていた愛称「ラジオ山陽」(Radio Sanyo K.K.)だそうです。